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【福岡】さあ邪馬台国へ…倭人伝を裏付け、最古級すずり片が「伊都国」から出土 福岡の三雲・井原遺跡 ★7 ©2ch.net

1 :むぎとろ納豆 ★ 転載ダメ©2ch.net:2016/03/06(日) 14:14:08.72 ID:CAP_USER*
さあ邪馬台国へ…倭人伝を裏付け、最古級すずり片が「伊都国」から出土 福岡の三雲・井原遺跡
2016.3.1 20:00更新
http://www.sankei.com/west/news/160301/wst1603010085-n1.html

 古代中国の歴史書「魏志倭人伝」に登場する「伊都国」の都だったとされる
福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で、弥生時代(紀元前4世紀〜紀元後3世紀)のものと
みられる国内最古級のすずりの破片1個が出土した。同市教育委員会が1日、
発表した。

 弥生時代のすずり発掘は国内2例目。市教委は「魏志倭人伝は伊都国で文書が
取り扱われていたと記しており、裏付けにつながる」として、日本の文字文化が
伊都国から始まった可能性を示す史料と位置付けている。


市立博物館で一般公開

 破片は長さ6センチ、幅4・3センチ、厚さ6ミリ。実際に使用されたようなすり減りが
あり、市教委は墨が使われた跡がないか詳しく調べる。当時のすずりは板状で、
水と粉末や粒状の墨を乗せ、取っ手を付けた薄い正方形状の「研石」ですりつぶして
いたという。

 昨年12月、弥生〜古墳時代の人々が不要になった土器を捨てたとみられるくぼ地
を調査して見つかった。ここでは中国・前漢が朝鮮半島支配のために設けた「楽浪郡」
製の弥生後期とみられる土器が多数見つかっているため、市教委はすずりも同時期
の1〜2世紀ごろに楽浪郡で作られたとみている。

 市教委は「伊都国では、楽浪郡からの渡来人が外交を担っていたと考えられる。
中国からの賜り品への返礼書などを作るため、半島から持ち込んだのでは」と
推察する。

以下はソース元で。

★1の立った日時 2016/03/02(水) 05:57:43.15
前スレ http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1457075369/
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1457157170/

2 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:15:27.47 ID:daZiCp8U0
邪馬台国はやはり九州地方の長にすぎなかったんだな

3 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:17:31.75 ID:DP4h2AmC0
あんまし過去にばかりこだわってると
朝鮮人みたいになるぞ〜

実際どうでもいい事だし・・・

4 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:19:33.98 ID:PiZpJIEP0
邪馬台国(ヤマト国)は九州で

西日本全土を支配下に治めた時点で

奈良に遷都して大和国(ヤマト国)に表記変えたってのが常識だろ

5 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:19:41.69 ID:lxB8R4Fk0
常々思っていたんだが、そろそろ「邪馬台国は北九州と近畿に飛び地でどっちも領土だった説」を真剣に考察すべきでは?

6 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:22:21.61 ID:G0VSziQb0
テンプレ


放射読み。       
陸行一月は陸行一日の写し間違い。
卑弥呼の墓は祇園山古墳。
邪馬台国は御井周辺。

近畿説はネタ。
東遷も東征も無い。
神武は近畿に招かれて行った雇われ店長。
記紀は神武東征を捏造するためにかかれた。

これが正しい古代日本史。










 

7 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:23:02.11 ID:G0VSziQb0
>>5
あんまり面白く無い。

8 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:24:27.92 ID:DjyLR3U70
奈良大和朝廷は、それ以前にあった九州王国、そして5王の時代を歴史から消しますた
どうやら中国に倭人、倭国とか変な感じで呼ばれてたことに気づいてキレちゃったみたいです
日本書記はネトウヨ編纂です

9 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:24:43.92 ID:G0VSziQb0
>>2
うん現実にはそうだったろうね。
卑弥呼の後すぐに勢力は逆転しちゃったと思う。

10 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:25:02.49 ID:PiZpJIEP0
>>6
陰謀捏造おじさんちーっすwww

自分に都合の悪いものを捏造だと主張するところがチョン○出しだな

11 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:25:16.87 ID:G0VSziQb0
>>3
早く成仏しなさいw

12 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:25:39.99 ID:G0VSziQb0
>>10
陰謀捏造野郎乙w

13 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:26:08.11 ID:G0VSziQb0
>>10
バカチョン乙w

14 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:29:08.05 ID:MjJAnIFW0
>>613 邪馬臺は、呉音読みが正しいと思う。
ヤマダイ、しかも当時の古代語では母音の連続音はなかったから、ヤマダ だったと思う。

今の漢字で書けば、山田
縄文時代は、自然のどんぐりや獣などを食べてたから古代の都市は山の近くに発展している。
そこから発生しているから弥生時代になっても政治の中心は山の方にあったと考えられる。
川のそば、海に近いという地形なら最高。

しかし、開けた平野だと常に侵略の危険があったから小さな勢力時代は守り易い山の近くに開けたと思われる。

15 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:32:37.18 ID:MjJAnIFW0
末盧国=唐津 > 500里40km東南 > 伊都国=佐賀県小城市牛津

伊都> 100里8km東南 > 奴国= 嘉瀬川河口有明海
伊都> 100里8km東 > 不弥国= 佐賀市巨勢町
伊都> 水行20日120km > 投馬国=鹿児島県出水市
伊都> 水行10日陸行1月 > 60km+120km

熊本市緑川沿いに阿蘇の南を通り、高千穂から延岡/日向を経由して西都原古墳群
が邪馬台国

陸行1日=6H*4km/6=4km/日
水行1日=陸行1日x2= 6km/日

http://i.imgur.com/HraHXHy.jpg

16 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:32:50.45 ID:Y5HMAkaA0
安曇族の棟梁の阿曇部礒良が武内宿禰だろう。三韓征伐を指揮したのは志賀島の海の民の棟梁礒良だろうな。白村江で破れたのは子孫の阿曇部比羅夫。

17 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:34:56.98 ID:Iiss5X+H0
>>14
サンカ?

18 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:34:57.87 ID:YcBpqQ9H0
723 :名無しさん@1周年:2016/03/04(金) 23:53:28.96 ID:esdpABAq0
>>692
20世紀後半をピークに、極東において、世界最大の都市として繁栄を極めたとされる都市「東京」。
その位置は、長く謎に包まれていた。
しかし、3018年、台湾島の台中遺跡の民家の跡から、東京を歌ったとされる詩の一部が見つかった。
作者は長渕剛。出身は九州島南端部と分かっている。そして、「花の都大東京」は「北へ北へ」向かう先にあると記されている

この意義は、大変に重要なことではなかろうか。
当時の九州島において、最大の都市は北端部の福岡であることが分かっている。
しかし福岡が東京と呼ばれたという事実はない。そして、「北へ北へ」とは、当時の日本語における強調表現であり、
福岡よりもずっと北にある、ということを示す。
「論理の示すところへ行こう、それがどこであっても」という、われらの知性を貫く大原則に
我々は従おう。(誰のことばか、わかる人はわかるよねww)

734 :名無しさん@1周年:2016/03/05(土) 00:01:03.67 ID:9FdJ9dZ40
さて、「東京」というのは、中国文明の影響を受けた名称であることは明らかである。
そして、同時代、中国大陸には、「北京」という都市と「南京」という都市があったことがわかっている。
ならば、「西京」と「東京」があっても不思議ではないだろう。この問題を、もう一つのカギとしたい。
同時代の中華人民共和国発行の地図を見ると、古代都市長安が、この時代「西安」と呼ばれていたことがわかる。
この都市は、その前代には「京兆」と呼ばれていたことが、モンゴル王朝の資料から推測される。
ということは、この都市は「西京」と呼ばれていただろう、ということが、論理的に導かれる。
ここで、地図を開いてみよう。北京と南京を結ぶ線の中点と、西安つまり西京を結ぶ線分を考える。
この線分を東側に伸ばした点、これが「東京」の真の位置として、幾何学的に導かれる。
この位置に、どんな遺跡がみつかるだろうか?
そう、黄海の対岸、ぴったりの位置に、巨大都市の遺跡がみつかるではないか。

19 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:36:25.80 ID:ao9UsNoi0
邪馬台国は九州なのはほぼ確実だと思うが
そこから大和に王権が誕生した経緯が気になるわ
邪馬台国は滅びたのか、合併なのか、遷都なのか
そこで高天原=九州説を唱えてみる

20 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:37:22.81 ID:DjyLR3U70
奈良大和朝廷の編纂した日本史では、さも奈良からすべての権力が太古から日本隅々まで及んでいて
その権力こそ天皇であるという話に仕立ててあるが、真っ赤なねつ造である
現実は全然ちがった
最初は九州北部に王国があり、そののち日本各地で朝貢するような5つの王国が発生し、
群雄割拠の時代がすくなくとも奈良大和朝廷以前の数百年はあったということ
これが真実の日本史だ

21 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:37:34.02 ID:G0VSziQb0
>>14
ヤマトでオケ

22 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:38:06.21 ID:G0VSziQb0
>>19

>>6

23 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:39:17.58 ID:G0VSziQb0
>>20
五つの王国って何?
まさか倭の五王のこと?

24 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:39:18.13 ID:f2XwgzQx0
邪馬台国論ってもはやみんな自分の国ばかりが可愛いから解決しない気がする
こればかりは公平な見方ができない
それこそまったく関係ないような遠くの西洋やアメリカから学者招いて検証したほうがいい気がする

25 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:39:37.90 ID:G0VSziQb0
>>24

>>6

26 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:42:59.74 ID:DjyLR3U70
>>23
まさかなわけないだろ
奈良大和の不明な天皇の名前に不明な一文字の記録を強引に当てはめてるだけで
真実はいまだに不明
奈良なわけない
奈良から5人が一斉に朝貢なんてありえない
離れたところの王からに決まってる
九州を奈良から支配したら、奈良から5王が朝貢したりというのは荒唐無稽なつじつま合わせ

27 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:43:53.99 ID:ao9UsNoi0
邪馬台国って突き詰めると天皇家はどこから来たのかって話にもつながってくるな
神話を見る限り、部族を平定して長になったというより
他所からやってきて他の部族を平定したと思うんだが
邪馬台国が大和朝廷に発展したとしたら、古事記の記述と辻褄合わないと思う

28 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:44:51.78 ID:4NEoY4rk0
畿内説って
九州に日本の首都が有った事になると
日本の皇統が神武天皇から続いてた事にならないから
女王卑弥呼が神功皇后だった事にしたんだろ?

魏が中国の地方豪族を倭王認定してた
で、なんか日本側に問題あんの?
遣隋使で小野妹子も隋に説明してるんだよ?

当事、朝廷が九州平定してなきゃ古事記神話も成立しないのは事実だけど
既に縄文時代2万年と弥生人の流入認めてるんだから
日本神話は神話だし
15代〜20代位の天皇の実在に疑義は誰でも承知してんだから
畿内説無用だろ?

中国の史書が日本でも歴史資料なのに無理、どこの戦前教育だよ?

29 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:45:50.65 ID:DjyLR3U70
奈良当たりの王族と見られるものが、鉄剣を各地におくって支配に必死だったというのは鉄剣が見つかってるんだから事実だろうが
他が居なかったということにはならない
そんなことしてたのがそいつだけだったのかもしれんし
だって中国に朝貢してんだから、中国がバックにいるぞというだけでいいだろう
国内と統合しようってのはまた次元の違う権勢欲だ
信長の時代も天下統一なんて考えてるのは信長だけであとは領地を守れたらいいと思ってたのと一緒

30 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:45:59.10 ID:MjJAnIFW0
>>19 多分、阿蘇、高千穂、桜島何れかの大噴火で作物も取れなくなり移住せざるをえなくなったと思われる。

これらの火山の大噴火は、西日本一帯を覆い尽くすような火山灰を撒き散らしたから、何年も不作になったはず。
そこで、お祈りや占いをしてもらったが一向に生活が豊かにならなかったからよその土地を求めた。
自然な動き。

南九州は、火山灰の影響で稲作には適していない。
芋焼酎が南国の特産品だという事でもわかるだろう。
山間の川沿いの土地は火山灰の影響を受けにくいから発展しただろう。
その一つが宮崎の西都原

31 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:48:21.38 ID:AlM5zlXCO
>>25
おはよう御井
中洲いったけどなんもでらんかった

32 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:48:47.71 ID:zhE+uwNU0
>>20
倭の五王はお互い親族関係だよ
違ってたらそう名乗るだろう

ま、奈良じゃ無いことは確かだが、

33 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:49:03.97 ID:16apR+070
高天原って阿蘇とかあの辺が景色的に昔は高天原な感じがしたんじゃないかな
で、噴火なんかで東に出ると日向に出て・・・・

みたいな

34 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:49:43.19 ID:pToJ1VHn0
>>1
http://livedoor.blogimg.jp/matomema10/imgs/e/e/eef043ad.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/matomema10/imgs/a/2/a2b1201f.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/matomema10/imgs/0/2/02ae5e83.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/matomema10/imgs/6/6/669f8259.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/matomema10/imgs/d/e/deacda31.jpg.

35 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:49:48.12 ID:zJy3Pk1I0
倭国大=卑弥呼天の岩戸にこもる

オオクニヌシの国譲り=卑弥呼共立

武器を回収し出雲の荒神谷遺跡へ封印
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/ff/2e126d1cdba19f6cb746f8ca305eb7e0.jpg

鏡で卑弥呼を岩戸から出す=魏からの鏡の贈呈=鏡の三種の神器化へ

大きな塚=古墳の始まり

箸墓古墳
http://makimuku.jp/image/hasi.jpg
耳成山    投馬国の副官が弥弥那利(ミミナリ)という名
http://static.panoramio.com/photos/large/65613372.jpg

景初三年鏡 景初三年=西暦239年   景初は三年しかない。
http://inoues.net/enjoy/3kakukanbara.jpg

魏・晋との外交
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E5%9B%BD#.E9.AD.8F.E3.83.BB.E6.99.8B.E3.81.A8.E3.81.AE.E5.A4.96.E4.BA.A4

・景初3年(239年)6月女王は大夫の難升米と次使の都市牛利を帯方郡に派遣し、天子に拝謁を願い出た。
帯方太守の劉夏は彼らを都に送り、使者は男の生口(奴隷)4人と女の生口6人、班布2匹2丈を献じた。

・12月、悦んだ魏の皇帝は女王を親魏倭王とし、金印紫綬を授けるとともに銅鏡100枚を含む莫大な下賜品を与えた。
また、難升米を率善中郎将、牛利を率善校尉とした。

・正始元年(240年)帯方太守弓遵は建中校尉梯儁らに詔書と印綬を持たせて倭国へ派遣し、倭王の位を仮授するとともに下賜品を与えた。

・正始4年(243年)12月、女王俾彌呼は魏に使者として大夫伊聲耆、掖邪狗らを送り、生口と布を献上。皇帝(斉王)は掖邪狗らを率善中郎将とした(『三国志』魏書少帝紀)。

・正始6年(245年)皇帝(斉王)は帯方郡を通じ難升米に黄幢(黄色い旗さし)を下賜した。

・正始8年(247年)女王は太守王?に載斯烏越を使者として派遣して、狗奴国との戦いについて報告。太守は塞曹掾史張政らを倭国に派遣した。

・女王に就いた壹与は、帰任する張政に掖邪狗ら20人を同行させ、掖邪狗らはそのまま都に向かい男女の生口30人と白珠5,000孔、青大句珠2枚、異文の雑錦20匹を貢いだ。

36 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:52:50.06 ID:16apR+070
漢朝から禅譲とかでつづいた魏から南朝への流されも南朝が滅ぼされた時点で中原勢力に対する礼儀は全うしたから関係ないけどな

37 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:53:05.10 ID:Y5HMAkaA0
>>16追加
民間伝承では、阿曇磯良(磯武良)は豊玉毘売命の子とされており、「日子波限建」(ひこなぎさたけ)と冠されることのある鵜葺草葺不合命と同神であるとする説。
豊玉姫は卑弥呼だと思うんだが。そうすれば卑弥呼が神武天皇のおばあちゃんになる。

38 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:56:27.60 ID:bqiseTBW0
>>3
何が何でも畿内(近畿、関西)中心に考えないと気が済まないのが
邪馬台国畿内説支持者並びに関西人だろ
東北熊襲発言した社長の会社は関西のサントリーだし
文化人気取りのくせに熊襲と蝦夷の区別も付かないんだから笑える

39 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:57:07.67 ID:16apR+070
最近、唐や新羅が白村江で勝って日本の九州に進駐して日本の政治を支配したみたいなこと言ってるやつらがちょろちょろでてきたけど
それだったら大々的に史書に残ってるだろうに、隣国ナショナリズムを日本の歴史に満ち込みたがる連中が面倒くさいな

支配してるのに水城が半島側に造られて大野城とか屋島城とか日本に進駐して国体を定めたんだったらなんで半島側に対して城を築くのか意味わからないが、ああいう人たちが新羅と唐の連合軍が九州に駐屯したって言ってる根拠はなんなんだろうか

40 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:57:19.47 ID:zJy3Pk1I0
・正始6年(245年)皇帝(斉王)は帯方郡を通じ難升米に黄幢(黄色い旗さし)を下賜した。

卑弥呼に黄巾を渡してるんだよね。ホンハイの会長もシャープとの会談で黄色い帯を巻いていた。

黄巾の乱は184年に起きている

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E5%B7%BE%E3%81%AE%E4%B9%B1
黄巾の乱は、中国後漢末期の184年(中平1年)に太平道の教祖張角が起こした農民反乱。
目印として黄巾と呼ばれる黄色い頭巾を頭に巻いた事から、この名称がついた。また、
小説『三国志演義』では反乱軍を黄巾“賊”と呼称している。後漢の衰退を招き、三国時代に移る一つの
契機となった。

41 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 14:59:54.38 ID:AlM5zlXCO
陸行一月 そんなとこ日本にねぇ

42 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:01:40.26 ID:1TVSSsEDO
記紀は大和政権が自らの支配体制の正当性を記す為に編纂した系譜の物語
初めから畿内の派生であれば九州に天孫降臨の地を示唆する必要もなく神武の東征など記す必要もない
また畿内より東を出自にしている記載もない

つまりは大和政権が成立する以前は東日本はもとより九州が畿内より文明の発展度合いが上であった事の証左だろう

大和政権が九州出自でないならば、九州の遥か西の沖にある知る由もないだろう島を国産み最後の島とする事などない
邪馬台の呼称をヤマトとして使ったのも自らの系譜の正当性を主張するためだろう

九州の何処かに邪馬台国はあった

43 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:03:19.28 ID:16apR+070
>>42
倭国と日本を分けて、九州を分離して浸透支配するための現在の政治の為の隣国が使うための史観じゃなくて?

44 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:03:54.63 ID:DjyLR3U70
>>41
ところが重い物資(米やらなんやら)を引きずって行けば山がちの日本だそんなに進めない
2000年前に道なんか整備されてない
だから川をメインに使ったので、水行のほうが陸より先に書いてある
現代の感覚で普通に考えたら、陸を行くほうが楽だがら陸移動のほうが先にあるはずだが、2000年前は違ったんだな

45 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:04:02.89 ID:N/NS4Lp70
>邪馬台国

当時の戦略感覚から言えば、
チョンの隣の福岡に首都は作らないだろ。
台風の影響が少なく戦略的縦深の深い奈良だろな。

46 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:04:05.97 ID:G0VSziQb0
>>26
五つの王国とか言うなよ。
一つの王国の五人の王だよ。

47 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:04:29.50 ID:G0VSziQb0
>>31
邪馬台国は御井だよ。

48 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:06:07.12 ID:G0VSziQb0
>>31
邪馬台国は御井だし。

49 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:06:49.76 ID:G0VSziQb0
>>31
邪馬台国は御井だぎゃ。

50 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:07:07.98 ID:fVg3OjKi0
すずりが出ても文字がないw

51 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:07:20.75 ID:DjyLR3U70
>>46
それが奈良史観のこじつけなんだね
狭い範囲で同時に朝貢する必要ないから
ほとんど独立してる離れた場所の国だから互いに朝貢を競ったんだろう

52 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:07:50.90 ID:Y5HMAkaA0
年譜
663年、白村江の戦いの敗戦
664年、水城の築造
665年、大野城など築城
665年、官家を移し、太宰府ができる
667年、筑紫都督府
671年.、筑紫太宰府
701年、倭国から日本国
礎石を使った建物になる
太宰府に向かう道は廃道

53 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:08:22.44 ID:G0VSziQb0
>>31
邪馬台国は御井だってうちのばっちゃが言ってなかった。

54 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:08:27.39 ID:1TVSSsEDO
>>43
そんな天空から見たようなグローバルな事をする必要がどこにあるかね

55 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:08:57.67 ID:609qVFFv0
世界の影響を受けない内陸がいきなり政治文化の中心になるとは
ふつうは考えられない。

松代大本営も東京からの疎開だし
ヤマトも高句麗などとの戦いを通して
九州にあった勢力が大陸から距離を置くため
関東に移動していった。

ヤマトタケルの東征伝説がそれ。

56 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:09:03.71 ID:G0VSziQb0
>>50
文字を使ってたから硯が出たんだよクソハゲw

57 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:10:29.59 ID:G0VSziQb0
>>42
同意したいところだが国産みの処はダメだな。
あれは欽明以降の捏造だよ。

58 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:10:47.16 ID:1TVSSsEDO
>>45
伊都は先端の貿易センター
当時とすれば奈良は遠すぎる

九州内陸に邪馬台国連合の中心である女王国があったと考えるのが妥当

59 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:12:04.63 ID:G0VSziQb0
記紀ってとにかく捏造だらけなのよね。
チョン笑えないwww
orz

60 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:12:08.42 ID:4NEoY4rk0
邪馬台国までの道のりは

里程で示したのは魏の官僚で 卑弥呼の国を紹介して
周囲5千里の島国の30国位で卑弥呼のヤマタイは最南
その北には男王の敵国が有る。 その島の東の海を千キロ行くと別の倭人国がある。
と言っている。

距離の単位里を知らないで日計りだけの倭人からの聞き取りが
楽浪から水行20日で投馬=渡馬、釜山あたりの日本の出先領地
対馬、壱岐を経て水行10日で松浦港
陸行一月日で首都である伊都って言ってるんでしょ。

魏の官僚は伊都は港から南東5百里って言ってるんだから1日の間違いだよ。
これは、文節の区切りが無くて説明不足の魏の文官が馬鹿、司馬遷も曹操もマヌケ。

この説明の国の首都は佐賀、久留米付近しかない。
卑弥呼の居るヤマタイは諸国の才南である阿蘇の南だろ。

61 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:13:14.20 ID:UuD27L28O
>>56
文字自体は三重や千葉で出土してるけどな。

62 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:14:10.21 ID:AlM5zlXCO
>>59
御井だろ

63 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:14:22.18 ID:G0VSziQb0
>>60

>>6でオケ

64 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:14:59.85 ID:G0VSziQb0
>>62
黙れキチガイw

65 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:16:06.82 ID:DjyLR3U70
倭の5王の前に
九州北部に女王を冠する王国があって糸島から朝貢してることがはっきりしたのに
なぜ時代をへて奈良の狭い範囲から5人も朝貢するんだ?
自然に考えたら、九州にあり、出雲にあり、奈良にあり、というふうに
大平野に1人の王で5王と考えるのが当然だろ

66 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:17:44.49 ID:q/iQPw050
>>4
そもそも邪馬台という表記をしてなかったんだろ、本人達は。
音のみで表記はなかったのかも知れん。

67 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:17:49.06 ID:4NEoY4rk0
ミィ、ミィ、ミィ、ミィうるせ〜な。
どこの名古屋だよ。

それ、女王卑弥呼 じゃなくて ニコちゃん大王だろ?
拝むぞ、ゴラァwww

68 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:19:08.03 ID:DjyLR3U70
その王の群雄割拠するなかで、とくに国内統一に野心のあるなんとかタケルみたいな王が居て
上手く行ったから大和が中央になったと
それが自然な歴史だな
んでその当時に日本人が文字を使うようになって
過去の中国からの扱いが倭人とか土人扱いだったのに気づいて
ネトウヨ精神を発揮して過去の歴史を抹消してしまったのだな

69 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:21:09.00 ID:Y5HMAkaA0
遣新羅使の道。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Circle/1688/2-3-2.html

70 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:21:14.33 ID:5AO4K68o0
>>60
>これは、文節の区切りが無くて説明不足の魏の文官が馬鹿、司馬遷も曹操もマヌケ。

なんで司馬遷とか曹操とか出てくるw
曹操の没年知ってるか?

71 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:21:14.80 ID:G0VSziQb0
>>67
御井だよ。

72 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:21:49.26 ID:G0VSziQb0
>>67
全然面白く無い。

73 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:21:57.48 ID:16apR+070
>>65
奥地ある競合する勢力の施設とか扼する位置にある国が素通りさせるよりは、
その位置取りの優位さでゆるやかに取込むと思うから、奥地もなにもかも別々に朝貢は変な気がする

74 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:22:05.62 ID:ejOpdg2m0
邪馬台国は九州だと思う。
ただ、大和朝廷は奈良だから東征に限って言えば嘘。

75 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:22:31.99 ID:G0VSziQb0
>>74
うん。御井だよ。

76 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:24:30.58 ID:16apR+070
>>74
喰えなくなったら移動するとか有り得るよ。食えなくて移動した民族なんていろいろ居るでしょ歴史上
阿蘇が火山灰出して食えなくなったから東に移るとかありえると思う

77 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:25:35.35 ID:q/iQPw050
>>15
男狭穂塚・女狭穂塚あたりが卑弥呼の墓ですかね

78 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:26:30.66 ID:UuD27L28O
御井連呼はおそらく日本史板の痛い人だからスルーでいい。

79 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:28:26.48 ID:y8GpL4Nw0
そもそも大和朝廷が強い国家であったってのが間違い
そもそも蘇我氏や物部氏にあやつられてた傀儡政権でしかなかったのを
大化の改新で天皇中心の国家にしただけ
そんな国の300年前の状態が強国であったとは到底思えない
神話等も周辺国家のものの寄せ集め

80 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:29:13.75 ID:3I1WHsBV0
>>1
まあ、

当時、北九州は、対中国への交易港として栄えたのだろうな。
普通(特に古代は)、海外の侵略を受けやすい地に、国の首府を置くことはない。

81 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:29:19.86 ID:G0VSziQb0
>>78 
でも邪馬台国は御井だよ。

82 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:30:10.88 ID:G0VSziQb0
>>77
それは投馬国ね。

83 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:30:28.55 ID:ejOpdg2m0
>>76
邪馬台国の文化がその後に日本中に広まった形跡がない。
奈良とは別の国と考えるのが自然じゃないかな。

84 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:31:50.34 ID:G0VSziQb0
>>76
残念ながら東遷も東征も考古学的に否定されちゃってる。

85 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:31:52.49 ID:UuD27L28O
邪馬台国七万戸を投馬五万や奴国二万戸と一緒に
北部九州にぶち込む人なんて考古学の世界では誰もいませんから。
なので考古学的に見て九州説なんて誰もいないんです。

86 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:32:15.70 ID:3I1WHsBV0
>>79
ま、当時の中国王朝が、当時の日本を、一応、マトモな国として認めていたことは確かだろうな。

すでに何度も指摘されてるが、中国が当時の日本に与えた名称「倭」は、「魏」の文字と対比させた一目置いた国であることを示している。

87 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:32:58.79 ID:G0VSziQb0
>>85
女王国は九州上半分の大部分と山陰だから全然余裕。

88 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:33:18.74 ID:16apR+070
>>79
神話からシュリーマンは遺跡発見したりしたじゃん。
なんでそんなに軽視したがるのか

>>83
相手がひれ伏したり憧れたりするほどの文化的優位さがなかっただけじゃないの?
奈良盆地の勢力図でオオキミの勢力は小さい。
新参者だったらしっくりくる感じがする。

89 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:34:42.75 ID:DjyLR3U70
大和王朝のなかでも神話になるぐらい九州と奈良は離れているのに
それより数百年さかのぼって奈良が九州を実効支配してたというのが
考古学なのかい?
それはとんでも学だな

90 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:36:36.36 ID:xtT2gyUF0
今だ邪馬台国九州説を唱えている学者は日本人起源半島説の在日学者だよ
九州のほうが都合がいいからね

91 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:37:08.87 ID:DjyLR3U70
奈良大和王朝はおかかえ呪術師を伊豆大島に流刑してるが、奈良から伊豆大島より、奈良から九州のほうが遠いんだね
だから神話になっちゃう
それより数百年まえに奈良から占い師の女王が九州を支配したいたとするのが奈良中心史観

とんでも考古学だね

92 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:37:37.16 ID:YcBpqQ9H0
>>84
中東から北アフリカにかけて突如現れた謎の大帝国がまさかアラビア半島起源だなんて、
文字史料が出ない限り考古学的には真っ先に否定されるがな。

93 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:37:46.23 ID:1TVSSsEDO
考古学的に否定とか畿内説の輩が確たる証拠もなく言ってるだけだろ

94 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:38:14.09 ID:3I1WHsBV0
>>89
ノータリンが考えそうなことだなw

当時、距離的に奈良と九州間は、対したことはない。
当時は、現在と違って、時間そのものがゆっくりと流れてる。

さらに後世、江戸時代に庶民や大名は、歩いて何日もかけて、江戸から地方を頻繁に行き来してる。

95 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:39:09.76 ID:G0VSziQb0
>>88
記紀は捏造だらけw

96 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:39:29.93 ID:DjyLR3U70
>>94
奈良から九州
吉凶うらなって知らせるのに1か月かかる占い師の女王なんて使い物になりますか?
常識で考えよう

97 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:39:43.91 ID:G0VSziQb0
>>89
考古学じゃないよ。
近畿説は宗教。学問とは無縁です。

98 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:40:06.10 ID:3ESLXFAG0
★1の立った日時 2016/03/02(水) 05:57:43.15

このスレは4日ルール違反なのでチョン以外書き込み禁止

99 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:40:31.89 ID:G0VSziQb0
>>93
は?

>>6

100 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:41:06.28 ID:G0VSziQb0
>>98
チョン乙

101 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:41:48.58 ID:W4RJBmeE0
この手の発見で疑問をもたれるようになってしまったゴッドハンドの罪の重さw

102 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:41:49.83 ID:3I1WHsBV0
>>97
おい、奈良説に学術的資料は腐るほどあるぜw

103 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:41:57.27 ID:DjyLR3U70
>>94
道が整備され、馬や車輪があるからだな
徒歩で山道を重いにもつを引きずる時代に奈良から九州へ陸で移動するの
下手したら数か月かかるかもな
だから魏志倭人伝は陸行のまえに水行があるんだ
当時の重い荷物は川で引っ張ったほうが楽で速いって証拠

104 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:42:25.31 ID:zhE+uwNU0
>>80
半島南部に住んでのはずっと倭人だよ
北部九州は倭人の地域の中心

105 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:42:27.47 ID:ZLU+jIXy0
東遷はもっと昔の倭国大乱の頃でしょ
その頃高地性集落が中国地方を突き進んでるし

106 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:43:30.83 ID:ejOpdg2m0
東征、東遷はお伽話。
九州説をお伽話にしないためにも切り離して欲しい。

107 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:43:47.75 ID:8KSYx/Jg0
341 名前:名無しさん@1周年 [sage] 2016/03/06(日) 03:50:07.41 ID:FJAjL+Fv0
>>316
下手くそな地図だが、今回の発見がなければ、これは作れなかった。

三雲井原遺跡は、末盧国から東南でなければならない。
地図を僅かに右方向に回してもいいが、東南と言えるためには、唐津の最北端と三雲井原遺跡を
結ばなければならない。
それで、方角は、使節の滞留所と滞留所を結んだものが記されたと分かった。

何日も滞留する宿で、太陽を星を観測したのだろう。

そうすると、不弥国たる大野城から、投馬国たる久留米は南。
久留米から西都原付近までは概ね南。
方角はだいたいあっているし、陸行1月で約250kmというのも妥当だ。

ちなみに、奴国→東→不弥国なのだから、奴国の南に狗奴国があり、不弥国の南に邪馬台国があることに
なる記述も合ってる。

国名が羅列された邪馬台国の北の国々というのは、日田、大分、九州東北部。

その北の、名前もわからない地域というのは本州だ。
女王の支配が及ばない。
だから、関門海峡は通れない。

女王国の東の海の向こうの倭人が住む土地は、地図に書いた通り四国だ。

108 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:44:04.10 ID:8KSYx/Jg0
316 名前:名無しさん@1周年 [sage] 2016/03/06(日) 03:26:02.77 ID:FJAjL+Fv0
とりあえずやっつけで地図を作ったよ。
http://i.imgur.com/w4SCY6b.jpg

水行は、海岸水行ではないのだから、不弥国(大野城市)から御笠川とその支流、そして豊満川を使う。
久留米(妻郡)が投馬国だ。

そして、久留米から水上交通が発達した日田まで行き、そこから陸行。

邪馬台国は、阿蘇山の東、佐伯付近から鹿児島までを支配する広大な地域で、
陸行1月は日田から西都原付近まで、約250kmの行程という説だ。

全ての方角が概ね合ってる。

109 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:44:11.61 ID:zhE+uwNU0
>>84
東遷は明確に書いてある
考古学でどうやって否定するんだ?
銅鐸の消滅とかは、むしろその証拠だろう

110 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:44:13.94 ID:G0VSziQb0
>>94
頭の動きがゆっくりな人乙

111 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:44:39.96 ID:LOIu7hkb0
403 名前:名無しさん@1周年 [sage] 2016/03/06(日) 04:33:44.01 ID:7U2/qZ/y0
狗奴国は、当然ながら熊本。
狗古智卑狗は、菊池にいた前線司令官だ。

菊池の位置を見て欲しい。

熊本と邪馬台国は、阿蘇山を睨んで、阿蘇山がどちらに属するか争って仲が悪かった。

菊池は、北は邪馬台国連合に属する久留米とにらみ合うとともに、東は阿蘇山を挟んで邪馬台国と
にらみ合う位置。

久留米の吉野ヶ里で争った痕跡が出るが、それは菊池が攻め込んだ時のものだ。

この地図をよく見れば、全ての謎が解ける。
http://i.imgur.com/w4SCY6b.jpg

邪馬台国の北の諸国に、蘇という文字がつく国が多いのも、阿蘇山に関係している。

112 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:45:02.28 ID:LOIu7hkb0
九州説と畿内説
伊都国編
◎九州説
伊都国の都だったとされる糸島市の三雲・井原遺跡で、帯方郡から来た魏の使者が伊都国で
事務を行っていたという魏志倭人伝の通り、帯方郡の硯が見つかった。
伊都国は糸島市で間違いない。
●畿内説
伊都国は太宰府だ。

距離編
◎九州説
魏の使者が上陸したと見られる唐津の先端から、三雲・井原遺跡までは、せいぜい50km。
魏志倭人伝は、これを500里としているのだから、1里100m以下だ。
対馬から壱岐、壱岐から唐津を、それぞれ1000里としているのとも符合する。
●畿内説
1里は400mだ

方角編
◎九州説
魏志倭人伝は、伊都国からさらに内陸に入る不弥国から、南の投馬国に水行している。
これは、川を使って久留米に行ったものだろう。
海岸水行ではなく水行としているのは川だったからだ。
●畿内説
南は間違いか、今とは東西南北が違っていたから。
なんでもいいから畿内へ向かった。

卑弥呼の墓編
◎九州説
魏志倭人伝によると、卑弥呼の墓は径100余歩とされている。
周囲300m、直径100mほどの墓だ。3世紀にそれ以上大きな古墳がある地域は邪馬台国ではない。
●畿内説
墳長300m余もある巨大古墳がある畿内が邪馬台国だ。

113 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:45:18.60 ID:G0VSziQb0
>>109
銅鐸なんぞ証拠にならん。
実は纏向が東征・東遷を否定してしまった。

114 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:45:30.08 ID:LOIu7hkb0
シュリーマンは詩を信じて、何もない島から遺跡を発掘した。
発掘されていないだけなんだ。 
1800年で東西南北は変わらないが、遺跡は埋まる。

日本の水銀鉱脈
http://kamnavi.jp/ny/kouzou.gif

特に大分が水銀で知られている。
魏に水銀と思われるものを送ったのは台与。豊の国、大分県だ。

>倭地溫暖、冬夏食生菜
以朱丹塗其身體、如中國用粉也
倭の地は温暖で、冬でも夏でも生野菜を食べている。
身体を赤く塗っている。中国でこなを用いるように。

これは、九州南部の風習なのだ。宮崎、鹿児島には顔が赤い遺骨が出る。
粉のようだというので、水銀ではなく、ベンガラだ。

115 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:45:50.09 ID:LOIu7hkb0
6世紀に描かれた倭人(邪馬台国は3世紀) 
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/5c/16171f80403a3ec03e3771b0fdb67139.jpg
左から、倭人、新羅人、百済人

倭人は日本人じゃない。日本人は百済人に近い。

116 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:45:51.61 ID:UuD27L28O
>>89
完全に実効支配出来てないから台与の後歴史がしばらく
途切れただけでしょう。
漢字は弥生後期時代には千葉でも確認されてますし、
三世紀には畿内には大陸との交流は画文帯神獣鏡だけでも確定してますよ。

117 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:45:52.53 ID:toVoJur20
>>109
書いてある事が間違ってるなんて
現代史でも多々あるのに?

118 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:46:30.24 ID:MKpI78ng0
まあ九州なんて、奈良や京都と比べると日本史上で完全に脇役なんだから、
邪馬台国ぐらい九州に譲ってあげたら?

119 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:47:07.17 ID:4NEoY4rk0
>>65
宋書 倭王讃
東は毛人を征すること五十五国。西は衆夷を服すること六十六国。
渡りて海北を平らぐること九十五国

これが北九州の小国以降、100年絶えて
400年に中国王に使者を送った、倭の五王の初代讃。大和朝廷の王の説明
九州は400年までに平定した。 


旧唐書では
日本国は倭国の別種なり。
使者は、その名の雅ならざるを悪み改めて日本となすと。
或いはまた日本は旧小国倭国の地を併せたり、と。

これは、遣隋使 小野妹子を使者とした推古天皇の上奏文であり
朝廷が旧倭国=邪馬台国は日本国の天子がが支配下にした小国と言っている。

120 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:47:59.06 ID:aQijYJfI0
>>14
何だかうどん作ってそう王国だなヤマダとか。

121 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:49:06.97 ID:y8GpL4Nw0
>>86
いや中国は貢ぎ物をした国を国家と認める風習があっただけ
日本を対等に扱ったわけじゃないよ
あくまで皇帝の属国であるとう証を与えたにすぎない
だから聖徳太子の書状にマジギレしたわけだからね

122 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:49:35.55 ID:MeLPCHC60
九州説の大勝利だね。地図が出てみんな納得した。

123 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:49:49.71 ID:DjyLR3U70
>>116
そんなの交換経済なんだから、バケツリレー方式で人が住んでりゃどこまでも行くよ
国としての支配ってのはそういうことじゃない
誰かが命令したら、それに従うかどうかだろ
邪馬台国、卑弥呼なんていう時代に
奈良から九州を治められると考えるのは荒唐無稽
占っても知らせるのに一か月かかったら田植えも稲刈りも終わる
そんな占いの女王はつかいものにならない
もっと近くにいた
陸行一か月は朝貢の重い荷物を運ぶ前提の距離

124 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:49:53.14 ID:NioDe7SB0
普通に考えて一番近いとこだったろう

125 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:49:56.83 ID:ejOpdg2m0
>>109
銅鐸は全国的なものだし、近畿以外でも消滅してる。その話は古い

126 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:49:59.71 ID:3I1WHsBV0
>>117
あんな、日本はな、チョン国と違って、

歴史書に書かれてることは、実証的に確認するんだよ。
神武東征は、その行程の各地にその足跡を残しつつ奈良に向かってる。

127 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:51:11.35 ID:eXfb1NGJ0
シナ人は日本人と違って正確な記述が出来ないんだよ。おまけに楽浪郡から
始めて日本に来たら不正確な記述は仕方が無い事だ。
倭人伝の里程や方角、日数、戸数を全面的に信用すると混乱するだけだろう
それよりも北九州での遺跡や出土物、近畿の遺跡や出土物などを比較した方が
正確さが増す。

128 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:51:23.09 ID:3I1WHsBV0
>>118
チョン。きょうも頑張ってるな。
今、オマエの本国はツブレかかってるぜ。大丈夫か?

129 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:52:01.75 ID:UuD27L28O
日本史板では行程パズルと言って園児のお遊戯扱いされてる地図かw

130 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:52:05.63 ID:ejOpdg2m0
>>115
それ見たことないから想像で書かれたやつだぞ

131 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:52:36.26 ID:aQijYJfI0
>>19
単に別々に発生したんじゃね?>北九州と畿内の勢力
まぁ一口に畿内と言っても三輪やら河内やら近江やら色々争ってたみたいだけどね。

132 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:52:38.42 ID:CZ49sx4R0
卑弥呼の墓は箸墓古墳じゃないの?

133 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:52:50.05 ID:vw1OiNwx0
邪馬台国はやっぱり九州にあったんや!畿内説なんか不自然過ぎるもん

134 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:52:50.51 ID:3I1WHsBV0
>>122
残念ながら、九州説の大敗北だな。

135 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:53:30.69 ID:DjyLR3U70
>>119
それは奈良大和朝廷のねつ造史を鵜呑みにしただけじゃん
当時は小国ではない
なぜなら糸島が国であり、それが30集まる、これこそ九州北部王国だ
それを完全に凌駕するような平野を奈良は持ってない
同程度。航空写真で見てみろよ
奈良から九州を実効支配もできない
常識で考えればわかることだが、
奈良大和王朝のねつ造史を絶対視するからわからなくなるんだよ

136 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:54:14.03 ID:toVoJur20
>>127
わざわざ三重から回り込んだりしないっての

137 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:54:18.12 ID:ejOpdg2m0
>>19
邪馬台国を日本の最古だと思うのが間違い。
その時にはすでに日本中に国があり、文化があり、争いがあった。邪馬台国が出発ではない。

138 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:56:21.10 ID:DjyLR3U70
>>137
政治に必要な文字は当然のごとく楽浪郡の役人が持ってきた
それが九州北部だ
文字文化はいきなり奈良や千葉から沸いて出たりしない
たんに墨字土器がバケツリレーで千葉に到達しただけ

139 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:56:30.29 ID:iePAg8iE0
>>135
北部九州に奴国や投馬国まで入る訳ないだろw

だから九州説なんてもう相手にもしないんだよ。

140 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:58:10.72 ID:3I1WHsBV0
>>119
知ったカブリが多いなw

>日本は旧小国倭国の地を併せたり

普通に、それまでの「倭国」が日本列島内において領地拡大をしたことを表してるだけのことだよ。

141 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:58:36.10 ID:iePAg8iE0
>>138
九州南部には目ぼしい物が出ない以上は
中華と交流してたのは東方の国という事だろう。

142 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:59:25.89 ID:r32JSt/+0
奈良だろ

143 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:59:45.14 ID:DjyLR3U70
>>139
入るわけないわけない
奈良の平地の大きさ見てみろよ
福岡平野と同じぐらいしかない
つまり九州北部王国の平野プラス中国の文化>>>>奈良
ぞんな奈良がなぜ九州北部を凌駕して実行支配できるんだ?

144 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 15:59:50.37 ID:TxFy3Jq60
>>115
マラソン見たが倭人が一人もいなかったぞ
一体どういうことだ

145 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:01:34.72 ID:DjyLR3U70
>>141
少なくとも魏の役人の目線は九州北部にしかほとんど向いてない
奈良や千葉にそこを飛ばして漢字文化をもっていく理由もない

146 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:02:09.33 ID:G0VSziQb0
>>112
間違い。放射読みが正しい。

147 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:02:43.25 ID:f7Asvj8c0
>>115
倭人伝て貫頭衣着てるて書いてあるのにそれ書いたやつが間違えたか
都まで行けなくて海辺の豪族を書いたかどっちかやろな

148 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:03:27.36 ID:G0VSziQb0
>>114
そう。邪馬台国は御井か山本ね。
とにかく祇園山古墳周辺。
とりあえず御井のあの無駄に広い国府跡が怪しい。

149 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:04:04.12 ID:G0VSziQb0
>>116
全く支配など出来て無い。

150 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:04:54.42 ID:p1U6q9kb0
邪馬台国の卑弥呼からもらった
秘術の書かれた書物により
孔明が赤壁にて東南の風を起こすことができたのは
有名な話

151 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:04:58.63 ID:ejOpdg2m0
奈良の全国支配なんてずっとあとのこと。
当時は日本中バラバラ

152 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:04:58.56 ID:G0VSziQb0
>>126
このウソつき野郎が。
戦闘の後など全く発見されてないわカスが。

153 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:05:19.29 ID:3I1WHsBV0
>>143

オマエ、なぜ、神武天皇が、九州日向から、日本の都を、山で囲まれた地(奈良盆地)に移したと思ってるのだ?
それは、九州の地が、すでに中国からの侵略の脅威を受けつつあったからだよ。

卑弥呼が登場するのは、それから1000年後のこと。

154 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:05:26.68 ID:wznx/Cfq0
>>130
倭人は難升米が皇帝から黄巾を仮に授かってるし、魏の時代から風貌が知られていたよ。

155 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:06:04.62 ID:iePAg8iE0
>>143
畿内なんだからすぐ隣に河内平野があるだろw

邪馬台国遥か以前に紀元前には同じ鏡が葛城の御所、秋津遺跡と
大阪府柏原にある大県遺跡で出土してるぞ。
秋津遺跡なんて勿論神武東征の目的地の名前だからな。

156 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:06:42.50 ID:DjyLR3U70
>>153
金印まで授けて朝貢させてる場所を攻めてどうすんだ
おまえ奈良史観カルトだな
議論終わり

157 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:07:10.17 ID:G0VSziQb0
近畿説はネタ。

三世紀は西日本は緩やかな連合体で、全体を軍事的に統括するような存在は無かったことが分かっている。
でも北部九州を軍事的に統括してたのは伊都国で九州にある。
自分の周辺すら軍事的に統括出来なかった近畿が、中国地方を飛び越して伊都国に北部九州を軍事的統括させてたとかただの妄想。















 

158 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:07:51.76 ID:iePAg8iE0
>>148
またお前か、祇園山古墳なんてそもそも方墳であって円形ですらないわw

159 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:08:24.72 ID:wznx/Cfq0
大和朝廷側は、中国様の冊封国を滅ぼしたと言えないから、倭国の末裔を名乗っただけ。

中国側は、怪しい、小さな日本が大きな倭国を滅ぼしたと見ていた。

160 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:08:28.61 ID:toVoJur20
>>153
あんた日本人か?
読点多過ぎて読みにくいわ

161 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:09:13.92 ID:DjyLR3U70
>>155
それを足すなら、九州だって佐賀平野があって同じじゃん
しかも仁徳天皇陵なんてあるとおりそこはまともに使ってなかっただろ
使ってたらあんなバカでかいもの作れるか

162 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:09:29.81 ID:ejOpdg2m0
>>159
素直に考えたらそうだよな

163 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:10:11.86 ID:16apR+070
>>159
それはそう思いたいという感情レベルの話では?

164 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:10:22.80 ID:iePAg8iE0
>>156
中国の国体がかわりゃ金印なんて貰ってもダメなんだが
もう少し歴史勉強しなさいw

165 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:11:08.03 ID:1TVSSsEDO
>>155
河内平野ってその頃湖なんじゃなかったか?

166 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:11:15.19 ID:3I1WHsBV0
>>121
じゃ、貢ぎ物をしていた朝鮮は、なぜ属国の象徴である2文字国家(朝鮮)にされたのだい?w

中国の皇帝が聖徳太子の国書に激怒したとしても、
たとえば、豊臣秀吉が明の国書に激怒したのと同じレベルだよ。相手国の存在は明確に認めてる。

167 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:12:26.80 ID:jCVg4TRu0
んで北九州に在ったから何なの?

168 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:13:16.66 ID:5KZdCYl30
畿内説なんか信じているのは地頭(じあたま)の悪いヤツw 常識で考えれば
おかしなことだらけ。発掘しか能のないアホが無理やりこじつけているだけだw
理系の秀才なら畿内説なんかハナから相手にしないよ www

169 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:13:37.18 ID:DjyLR3U70
>>164
日本に興味持つのは中国をだいたい平定したときだから
中国王朝の変遷と日本との外交史をみればわかる
後漢、魏、晋、
中国が異人に攻めれれてるときは日本の相手してる暇がないって話だな
つまり日本なんて物さえ送ってくればよいぐらいで完全に眼中にないんだわ
倭人呼ばわりでわかるように

170 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:13:50.89 ID:MeLPCHC60
陸行1日なら、里で記述できる。
1月もかけて陸行した。それも、山あり谷ありの道とは名ばかりの道を。
これでは距離が分からない。

邪馬台国の東には海があり、1000里向こうに大地があるという。
海の場合は、里で記述できる。
狗邪韓国から対馬まで、対馬から壱岐まで、壱岐から唐津まで、大雑把ながら、全て里が記述されている。

邪馬台国の東の海を隔てた大地までの里数も記述されている。

ところが、水行20日、10日は記述されていない。
これは、海岸水行ではなく水行。川だったからだ。
曲りくねり、岸辺の人夫が綱で小舟を引きながら進む川。
江戸時代でも、御笠川は、時には人夫が川底の砂を掘り起こしながら進んだ。
これでは、里数は記述できない。

171 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:14:00.95 ID:G0VSziQb0
>>158
全く無問題。
早く成仏しなさい。

172 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:14:41.34 ID:9xoePp7C0
北部九州沿岸は歴史的に危険な地域で都を置くのにふさわしくない。
新羅や高麗の海賊や正規軍から略奪・虐殺・人攫いなどの海賊行為を受けていた。
四国は海賊のアジトで紀貫之も恐怖を感じ航行に支障をきたしていた。
畿内は明石海峡と紀淡海峡の防衛に集約され東方へ支障なく移動可能。
畿内は王城の地。

173 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:15:02.64 ID:16apR+070
中華の王朝も豊かな平原を支配してても洛陽の狭い谷間に中枢を据えてたでしょ。

確定とするには、弱いと思うよ、いろんな場合がありうるから、ペルシア帝国とかも狭隘な地域からバビロニアとか大沃野勢力を征服してるでしょ
辺鄙なとこから支配はできないというわけでもない、有り得ることもある。

>>121
隋・唐は武川鎮系で北方民族でしょ、漢民族系の国家を滅ぼした方なのに、倭の頃に朝貢してた国家を滅ぼした勢力が日本にキレるとか意味わからん
新しい知り合いでしかないのに

174 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:15:14.27 ID:iePAg8iE0
>>165
湖なのは東大阪市付近だけな。
だから奈良盆地の他に八尾市(物部氏拠点)柏原市辺り(蘇我氏拠点)には
遺跡も集中してるだろう。

175 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:15:20.13 ID:3I1WHsBV0
>>156
あんな、国家侵略の脅威は、他国から印鑑をもらったぐらいで「ホレ、安心だw」と思うのは朝鮮人ぐらいだろう。
だから、朝鮮民族は、数千年間、中国のイイようにされ続けたろう。

176 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:16:24.44 ID:iePAg8iE0
>>171
同じ事ばかり言ってるとアスペを疑われるよ。

177 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:16:33.40 ID:toVoJur20
瀬戸内海なんかは大陸の人から見れば川に思えるそうだが

178 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:16:46.89 ID:DjyLR3U70
>>175
だって文字をもってからの歴史にだって現実に一回も侵略してきてないし
攻めてきたのはモンゴルだからな
中国じゃない

179 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:17:36.72 ID:1TVSSsEDO
>>174
墓ばかりの所に当時耕作地や住居あるのかね

180 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:18:13.56 ID:DjyLR3U70
中国の歴史書には、日本はずっとおとなしい土人で一杯貢物くれるやつらって感じで書かれてるじゃん
それが真実だろ
反抗したのは聖徳太子が初めて
それも誤解っぽいが

181 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:18:28.12 ID:nDgP1df/0
縄文系は素晴らしい

182 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:19:43.24 ID:iePAg8iE0
>>172
畿内、奈良盆地や山城地方が王城の都に相応しいのは
「八尺の棒」の話でも証明されてるからな。

九州大宰府が王権の土地なんてのは無知すぎる奴の妄想だわw

183 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:19:44.72 ID:/jawJliT0
邪馬台国から原始大和王朝までの間に
人口の大移動があったのですよ
大量の移民が入ってきたり、日本の在来住民が出て行ったのでしょう
その移民集団が在来の集団と合同して
どのくらいの時間をかけたかはわからないけど
東へ勢力を伸ばしていったのでしょう

184 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:19:51.01 ID:3I1WHsBV0
>>178
やはり、チョンの属国根性はオマエも引き継いでるようだなw

朝鮮が数千年にわたって中国から搾取され続けたのは
「属国として半生かしでシボリ取れ」という中国の巧妙な侵略政策だよ。

185 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:20:13.58 ID:toVoJur20
>>178
白村江の戦いの後は超ビビってたやん

186 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:21:43.40 ID:DjyLR3U70
>>184
奈良大和朝廷こそ、漢字、律令、仏法と
中国文化のオンパレードで支配力を高めたんだから
中国の精神的属国以外のなにものでもないじゃん
そこでやっと自我も芽生えて、日本に改称したゆえに中国皇帝の怒りを買ったり
過去の歴史を消したりしてるが
基本は中国文化べったりだ

187 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:22:14.58 ID:bOEdhj/c0
三世紀の遺跡を見ないとな。
紀元前にどんなに九州が進んでいたとしても関係ないから。
鉄が多い、鏡が多いとか、無関係。
未だに吉野ケ里いうやつがいるが、吉野ヶ里はもっと古いんだよ。
吉野ヶ里が10こ出てきても関係ない。

188 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:22:33.57 ID:9xoePp7C0
>>173
隋・唐は漢民族出自を少なくとも自称している
北方遊牧民の占領時代には漢族も北方風の姓を持つことを強要された

189 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:22:45.44 ID:iePAg8iE0
>>179
葛城の秋津遺跡辺りには、弥生時代最大級の水田跡が
確認されてますけど?

そこに北部九州と変わらない時期に鏡と銅鐸が一緒に埋葬されていたのが
確認されてるよ。

190 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:25:05.36 ID:DjyLR3U70
韓国中国製のPCでカタカタ日本の優位性を語るネトウヨと奈良大和王朝は似てるね
中国文化にどっぷり囲まれながら、書面だけ日本の独自性を模索してる感じ

191 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:25:32.28 ID:G0VSziQb0
>>176
黙れアスペw

192 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:25:59.33 ID:G0VSziQb0
>>187
早く成仏しなさいw

193 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:26:03.04 ID:16apR+070
>>186
負けたから、勝った勢力に学ぶのは仕方ない。
薩長も欧州に藩で挑んでいてこまされてから相手を研究することにまじめになったからね

194 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:26:05.68 ID:iePAg8iE0
>>186
わかってないな、本当にw
何故聖徳太子が法隆寺を斑鳩の場所にたてて
日出処の天子からなんて書簡出したのか理解してないだろ。

195 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:26:10.90 ID:DjyLR3U70
>>189
そのでかい墓、鏡と銅鐸ってのは奈良のスタイルで
九州では流行らなかっただけみたいね

196 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:26:25.10 ID:zhE+uwNU0
>>113
どういうバカなの?
遺物にここが邪馬台国だって書いてあったか?
たんに、その地域に何らかの王権があったことの証明にしかならん
世界中いたるところに王権があったんだよ

なんでそれか邪馬台国だって思い込むのかなあ
当時から統一王朝があった証拠は?
平安鎌倉だって東方地方は別の国だぞ

考古学バカって処置なしだな

197 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:27:17.69 ID:16apR+070
>>190
優位性とかくだらないね。別天地でありたいと言う生き方と希望だよ。

198 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:27:32.34 ID:G0VSziQb0
>>195
だから邪馬台国コンプがあったからデッカいもの作ってオラオラやる必要があったんだろうね。

199 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:28:03.37 ID:DjyLR3U70
>>194
聖徳太子がとう考えてようが
当時の日本の権力、支配力は中国文化に完全依存していた
間違いないだろ
中国はそんな日本を完全に下にみて攻める気も起きない
自然な話だ

200 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:28:05.79 ID:G0VSziQb0
>>196
黙れただのバカw

201 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 16:28:24.96 ID:nGZ23NP+0
>>27
天皇家は7世紀にできたのです。
古事記 日本書紀は 白村江で敗北したので 倭国をなかったことにするためのねつ造です

202 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:28:55.82 ID:IdwCGvU80
>>197
希望で歴史を捻じ曲げちゃいけないよw

203 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:28:57.56 ID:ao9UsNoi0
>>161
>しかも仁徳天皇陵なんてあるとおりそこはまともに使ってなかっただろ

堺の港から上陸して仁徳天皇陵がそびえたってるんだよ
エジプトのピラミッドだって都市のすぐ側にあるだろ
権力を誇示するために巨大建造物を人の住む近くに作るのは珍しいことじゃない

204 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:29:57.15 ID:rD0esUx9O
>>170
玄海灘の荒海よりかは川の方が距離(里)の計測は簡単だろ。
宇美から久留米に20日もかけて移動してる(あくまで仮定に過ぎないが)なら尚更。

大体、何でそんな短距離の移動に20日もの時間を要したんだ?柳川の鰻と梅干しでも食って、腹を壊して寝込んでたのか?w

205 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:30:12.87 ID:+/tGclid0
大阪の住吉大社も
元々は九州北部や下関が拠点だったけど
いつの間にか大阪が本部になってる

だから九州にあった邪馬台国が
畿内に移動したと考えてもおかしくはない

206 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:30:29.23 ID:G0VSziQb0
>>186
いやそれは違う。結局遣唐使廃止したことからも分かる。
そういうどっちがいい悪いっておバカな話しじゃ無くて、近畿は学問的にあり得ないってだけ。
纏向は全く素晴らしい遺跡だ。
ただ邪馬台国では無い。全然違う。

207 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:30:35.15 ID:zhE+uwNU0
>>189
バカ?
最大の水田とか
だから何?
それと邪馬台国と何の関係が

各地に王権があったんだよ
なんで統一王朝って思い込むのかな
現に狗奴国と戦ってたとか書いてるだろ
統一されてない地域はいくらでもあったんだよ

バカは処置無しだな

208 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:31:02.98 ID:DjyLR3U70
>>203
ピラミッドって土地が幾らでもあまってる国と比べるなよ
日本においては使ってないから、でかいものが作れるんだよ
そもそも田んぼであってみな
仁徳天皇陵で潰してしまったらどうにもならない
国力激減、墓のためにそんなバカなことする権力者はいない
つまりそこはまともに使われてなかった証拠

209 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:31:22.83 ID:IdwCGvU80
>>201
捏造というより、自分の正当性を書き記してみたものだろうね。

それも、記述に中国人の助けを借りながら。

210 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:32:08.60 ID:iePAg8iE0
>>199
そりゃ実際大国なんだからなw
そこを挑発しつつ独自に成長できたのが日本だろう。

半島の国と違って侵略されずに独自に発展したのは事実だよ。

211 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 16:32:19.05 ID:nGZ23NP+0
>>203
通称仁徳天皇陵は 実は誰の墓だかわからない

212 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:32:20.63 ID:toVoJur20
確か隋の使者の行程が九州から奈良まで
30日くらいだったんじゃね

213 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:32:29.43 ID:2pFOJM9e0
学会の力関係で場所も決まる傾向だからな
歴史学者は嘘八百並べてもどうにでもなる

214 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:33:04.91 ID:IdwCGvU80
>>208
的確な視点だと思うな。
目から鱗だ。

215 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 16:33:37.31 ID:nGZ23NP+0
>>209
戦争してた中国の手をなんで借りられるのやら

216 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:33:37.50 ID:3I1WHsBV0
>>186
じゃ、古代中国が発明したといわれる「火薬、羅針盤、紙、印刷」

を現在の世界の国が使ってるが、じゃ、世界は中国の属国なのかい?w
あんな、チョンはまともに歴史を習ってないから分からんのだろうが、

古今東西、強国ほど、他国の「文物、財物、技術」を奪い取って自国に持ち帰ることができるのだぜ。
弱小国にはそれができない。

たとえば、あの世界中に植民地帝国を築いた「大英帝国」にしても、
インド、エジプト、アフリカ全土、オーストラリア、北米、中東などから、自国に役立つものを膨大に自国に持ち帰ってるだろうが。

現在の西欧科学の根底である「算用数字(1234・・・)」もアラビア文字からだ。
それを使ってイギリス人のニュートンが「万有引力」を発見している。

古代の日本は国体がしっかりしていたから、何の危惧もなく中国や海外から役にたつ膨大な文物を自国に持ち帰ることができた。
それは、明治期の日本が西欧から同じように技術を持ち帰ったのと同じ。

弱小国の朝鮮民族には、とてもマネができなかったろう。

217 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:33:52.11 ID:16apR+070
>>209
いや、そんなに目くじら立てる必要ないでしょ、世界的に歴史とはそういうもの

218 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:34:00.77 ID:DjyLR3U70
>>210
だから倭人、倭国とよばれて朝貢合戦で覇権を競ってる時代だって
立派に日本の歴史
ネトウヨ奈良大和朝廷は消しちゃったみたいだけど

219 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:34:07.69 ID:IdwCGvU80
>>213
日本の古代史学って、いまだに天皇制に振り回されてるよな。

220 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 16:35:21.29 ID:nGZ23NP+0
あのなー 大和朝廷は実は敗戦国家倭国が偽装したものだけど
証拠隠滅のため 卑弥呼の墓は盛り土で記述より大きくしてあるはずなんだわ。
だから100歩の墓探しても無駄なのよ

221 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:35:44.70 ID:IdwCGvU80
>>215
戦争してたのは大和勢ではなく九州勢かも知れない。
書紀の記述に、中国人の手が入っていることはほぼ証明されてる。

222 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:35:50.00 ID:iePAg8iE0
>>207
救いようのないアホですか、
耕作地あるの?と尋ねられて、水田跡が葛城地方にあると答えたまでだがw

223 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:36:33.85 ID:UXoml20T0
http://image01w.seesaawiki.jp/e/3/ebatan3/02e2909b.jpg

224 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:36:43.30 ID:16apR+070
>>219
でも今の日本の古代を振り回そうとしてるのは隣国の周辺国の民族主義やナショナズムと利益に乗っかってこじらせてる奴らも多いからな
新しければ正しくてマトモなのが出てくるというわけでもない

225 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:36:55.38 ID:zhE+uwNU0
>>200
まともな反論できない畿内説信者w
畿内なら九州に上陸する必要なんか無いんだよ
山陰まで対馬海流に乗ればいい
それが遥かに簡単だ
あるいは関門海峡から瀬戸内海でもいいが
伊都国のちかくに邪馬台国はあった
それ以外に合理的な解釈は無い

あと、狗奴国との戦いの為に魏の支援が必要だったから、魏の使いに会ってないはずはない
王都の描写もある
間違いなく邪馬台国にいってるからね

バカに分かるように説明するけどw

226 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:37:42.46 ID:+/tGclid0
記述に中国人の手を借りたのは
日本書紀だけで古事記は我流で書いてるはずだよ
だからかどうかはわからないけど
日本書紀は天皇家を美化してる傾向が強く
古事記には残酷な面も書かれてます

227 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:37:49.74 ID:DjyLR3U70
>>216
というかちょっと滑稽なぐらいだろ
文字は漢字、統制システムは律令、宮殿は中国王宮のコピー、
そんなものに囲まれながら、シコシコ日本の独自性を書物にしたためてるんだから
ネトウヨ丸だしだよな
現実逃避しすぎてる

228 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:38:00.86 ID:IdwCGvU80
>>217
そうだね。

中国の場合は後の王朝が前王朝のことを記述するから、いくらか客観的だけど、記紀はまるまる自己正当化の史書だからねえ。

229 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 16:38:06.50 ID:nGZ23NP+0
天皇家が7世紀以前にもあったのなら 倭の五王が従属の手紙を中国に送るわけないわな
なので 天皇家は7世紀に出現して 記紀を書かせた。

230 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:39:08.54 ID:G0VSziQb0
>>225

>>6
読めクソハゲw

231 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:39:13.79 ID:IdwCGvU80
>>224
そんなことは関係ないと思うよ。

自国の歴史を客観的に語るのは難しいってことだよ。

232 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:39:18.78 ID:toVoJur20
>>225
江戸時代でもそんな事しないんだが
航海舐めすぎじゃね

233 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:39:23.12 ID:y8GpL4Nw0
そもそも古事記日本書記の前の日本人による文字記録がないのに
同一国家による支配が永続的に行われたと思う方が不自然
それ以後が江戸の300年が最長なのに原始天皇家が500年支配?あるわけない

234 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:39:55.56 ID:sgeXvRaP0
物証がない限りは全て妄想

235 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:40:05.43 ID:3I1WHsBV0
>>225
>山陰まで対馬海流に乗ればいい

で、そこから中国山脈を越えるのかい?w

オマエのアホは極まったなw
当時は、険しい山越えよりも、船で瀬戸内海を行く方がはるかに楽だったんだぜ。

236 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:40:09.36 ID:9xoePp7C0
>>161 >>208
奈良の由来は ならす(均す・平す)
凸凹ある原野を平らにして農地化する過程で出た大量の土砂を集めて古墳を作った
河内湖と大阪湾の間の上町台地を掘削して放水路兼運河を作った時の大量の土砂は
仁徳天皇陵の資材に使われた
整地や土木工事のついでだよ
どれだけ大規模な土木工事をやれる組織があったかの目安

237 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:40:44.79 ID:G0VSziQb0
>>208
だね。鋭い指摘だ。
そりゃそうだよね。
纏向だって人が住んでた形跡ないって言うしね。

238 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:41:02.23 ID:G0VSziQb0
>>234
早く成仏しなさいw

239 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:41:52.28 ID:G0VSziQb0
>>229
倭の五王は奴国の王ね。

240 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:43:14.52 ID:16apR+070
>>229
時代が変わって都合が替わっただけかもよ

>>237
しかし、そんなに人が住んでいない地域ならそんな巨大建造物を造れるだけの人はどっから連れてきて、飯はどうしたんだということになる。
その設定ではそんな巨大建造物は造りだせる動員が出来ない地域に成るが建造物は出来てるから矛盾する

241 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:43:17.14 ID:qRvSwVNB0
>>201
大和朝廷の歴史書の編簿の始まりだろがよw
隼人平定時期と重なるその後畿内移住させて祭祀参加など
両者は奇妙な関係ではある。

242 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:44:02.33 ID:toVoJur20
>>236
古名は大和じゃないのかな

243 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:44:28.44 ID:ao9UsNoi0
>>208
現実に堺に港があって、堺市には大小様々な古墳があるわけだが
貝塚があったり、農村というより漁村だからな
だから別に古墳作っても問題ねーんだわ

244 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:44:47.54 ID:3lctguYg0
博多あたりに上陸して陸路関門海峡へ
そこから瀬戸内海を水行するというのは合理的だよな
九州では水行十日もする場所はないだろ
まあ奈良盆地も陸行1月は変だけど

245 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:44:51.18 ID:rD0esUx9O
>>225
なら、半島・大陸と列島との往来の窓口に伊都国なんて要らんよな?

鎌倉時代に日本に襲来した蒙古も、九州に上陸せずにダイレクトに畿内に行けばよかったのになw

246 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:45:26.31 ID:rh/jq2+W0
邪馬台国もそうだが何でも一緒くたに
畿内中心で考えるから畿内信者は駄目

247 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:46:06.40 ID:j/zRr7JH0
伊都国は糸島で確定。
邪馬台国にとって伊都国は最も信頼した国。
倭人伝は伊都国について、「往来する郡使が常に駐在する所」。
今回の発見はこの記述を裏付けるものである。
一方、
高地性集落は畿内にあって九州に無い。
九州は銅矛文化、畿内は銅鐸文化。
これらの事実は邪馬台国が畿内にあることと矛盾する。

248 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:46:21.62 ID:e/nTAXL20
日本の有史は7世紀以前からあった。
しかし、それを認めてしまうと天皇家の存在がw

249 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 16:46:33.67 ID:nGZ23NP+0
1) 白村江の敗戦で中国の大軍が追ってくるのを恐れて 倭国をなかったことにし、畿内に遷都して
   人工国家大和朝廷を作った。

2) 記紀がわざわざ2冊あるのは 日本書紀の元になった証拠物件の古事記口伝自体がねつ造だから

3)卑弥呼の墓は証拠隠滅時に盛り土してあるので 100歩の墓を探しても無駄である

4) 素戔嗚尊の足跡は倭国軍の足跡そのものである。よって 邪馬台国は素戔嗚尊の発祥の地
   、宮崎県宮崎市阿波岐原町と推定される。

はい日本史の謎全部解明 すっきり

250 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:46:42.33 ID:AlM5zlXCO
陸行一月は陸行一日の写し間違い。
卑弥呼の墓は祇園山古墳。
邪馬台国は御井周辺。

海から70キロあるけどな

251 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:47:47.31 ID:j/zRr7JH0
ココ電がいるw

252 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:48:36.80 ID:TbTb7XQG0
>>234
だから魏志倭人伝本文と考古学的知見を中心に少しずつ考えるしかないんだが
膨大な研究史や中国史書や記紀や本文全文さえもまったく知らなくても今の地名だとかちょっと本で読んだ神話だとか
そういう程度の知識で素人がいくらでも独自の新説を語れるんだよね
だからスレも伸びる

253 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:49:08.77 ID:3lctguYg0
>>234
そうだね
これ以上魏志倭人伝の解釈をいくらやっても結論はでない
結局トロイの発見のように決定的な遺跡が出ないとダメだわな
今のところ遺跡では畿内が優勢ではあるが決定的なモノはどっちも無い

254 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:49:57.29 ID:j/zRr7JH0
九州なんて浜を上がれば山地。当時はまともな道もない。
内陸なら一月かかってもおかしくない

255 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:50:24.73 ID:3I1WHsBV0
>>227
だからオマエらチョンは、ノーベル賞が取れないんだなw

中国の文字、建物と言うが、
現在の西欧文字のアルファベットは、さかのぼれば、古代エジプト文字(→ギリシヤ)からだぜ。
しかもその建築様式は、古代ギリシャやローマのコピー。

民主主義政体にしても、すでにそれらギリシャ、ローマに発生している。
で、その後、世界を制覇したイギリスやアメリカがそんなことにこだわってるのかい?w

何度も言うが、強国だけが他国の物を吸収して行けるってことだ。

256 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:50:26.95 ID:AlM5zlXCO
>>244
ぜんぜん
船で近畿までいけばぁ

257 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:50:29.50 ID:UAHIeCgR0
>>249
根拠が示されてないな

258 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:50:45.24 ID:QX6oM49t0
>>201
日の出国でブチ切れた隋の煬帝が、日本は倭の後継ではない
と記録残したんじゃなかったか?
ってことは、日本は倭の後継だと主張したんだろ?

259 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:51:50.71 ID:zJy3Pk1I0
>>233

昔の朝廷には語部(かたりべ)という役職があって、古伝承を語り継いでたんだよ

260 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:51:51.64 ID:S8C5DV630
すずりの欠片一つで
”「魏志倭人伝は伊都国で文書が
取り扱われていたと記しており、裏付けにつながる」として、日本の文字文化が
伊都国から始まった可能性を示す史料と位置付けている。”
って大胆だな。

261 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:52:04.52 ID:j/zRr7JH0
畿内で遺跡が多いのは4世紀以降。弥生時代の遺跡は九州のほうが多い

262 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 16:52:16.90 ID:nGZ23NP+0
>>257
根拠を書いてるのに なんで読めない?

263 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:52:20.73 ID:rD0esUx9O
>>247
秀吉唐入りの拠点も唐津だったな、そう言えば。

秀吉が居住してた大坂城が大阪府(近畿地方)に所在してたって考えるのも矛盾してる事になるよな?

で?、大坂城って本当は何処にあったんだ?九州南部?w

264 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:53:04.56 ID:9jWsBbk00
女王国の東へ海を渡る事千余里で、また国がある。皆倭人である
辰砂が出る
周囲は五千余里程である

四国確定

265 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:53:27.54 ID:16apR+070
>>257
根拠としての理由を提示したが、証拠がまだ学界で発見されてない的な意味合いでは?

266 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:53:32.93 ID:AlM5zlXCO
>>254
7万戸の田園調布としで近隣諸国を統治してたとしたら道はある。
福岡、佐賀、熊本とずっと平野やし

267 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:54:07.38 ID:3I1WHsBV0
>>258

で、オマエはチョンってことかい?

268 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:54:15.47 ID:LdJ0vr3y0
周旋可五千餘里
周囲を旋回すること五千余里ほど。

一周するのに5千余里だから一回りできるんだよ
だから九州だろ
本州じゃ一回りなんかできないし
そもそも伊都国とは別の島だし

269 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:54:33.77 ID:UAHIeCgR0
>>262
どれが根拠?

270 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:55:17.58 ID:5KZdCYl30
>>236
>凸凹ある原野を平らにして農地化する過程で出た大量の土砂を集めて古墳を作った

  やっと俺と同じ考えの人間がこのスレに出てきたかw もっとも、ネット検索すれば
 国交省のOBなんかでこういう見解の人は別に珍しくないんだが。発掘に凝り固まった
 考古学バカがわかっていないだけでw ただ、「凹凸ある原野」じゃなくて河川氾濫原や 
 干潟を農地化したんじゃないかと思うけどね。

271 :くま:2016/03/06(日) 16:55:36.20 ID:QrdKwy8g0
もへじの苺カステラおいしかったお。

272 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:56:23.86 ID:IdwCGvU80
>>255
インドとかフィリピンは英語が公用語みたいだけど、英米に対して強国なの?

273 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:56:33.01 ID:j/zRr7JH0
>>266
海沿いの平野にあったという保証はない。
人口は日本側の記録もない以上、あてにならない

274 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:56:39.94 ID:QX6oM49t0
>>180
日本は貢物を一杯出す土人?アホか
真面目に各史書の倭人伝を読んだことないだろ

日本という遠い地から遠路はるばる来てくれるのは、その国の王の徳を表すから
使者を持て成してお土産を大量に持たせてお繰り返してたんだぞ

275 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:56:55.28 ID:3I1WHsBV0
>>262

さすがチョンw

自分の空想が「根拠」になるようだなw
これじゃ「慰安婦被害」を証言だけで「根拠」とするハズだなw

276 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:57:10.73 ID:3lctguYg0
>>256
九州まで、
半島―対馬―壱岐―末廬国と小刻みに海を渡ってることを見ても
当時の技術では長距離を一気に航海するのは危険だったんだろう
使節の移動はできるだけ安全な方法をとったはずだ
一旦博多あたりに上陸し陸路で瀬戸内海まで移動し、瀬戸内海を水行する
これが合理的だよ

277 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:58:01.01 ID:FRq1bgk50
正直どうでもいい気もするけど
九州派は基本的な勘違いがあるよな

吉野ヶ里遺跡は当時海に突き出た港町
今みたいに有明海は小さくないぞ

久留米から先は基本有明海だし(´・ω・`)

278 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 16:58:14.21 ID:nGZ23NP+0
>>269
一行目だけ説明すると 記紀には倭国のことが書かれていない  

279 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 16:58:52.10 ID:nGZ23NP+0
>>277
死ね

280 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 16:59:34.65 ID:DjyLR3U70
ま、これを機に奈良中心史観=皇国史観はフィクションとしておいといて
それ以前の本当の日本の歴史を埋めていけばいい

281 :ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2016/03/06(日) 16:59:56.83 ID:2mZis1PNO
>>263

支那の歴史書によると秀吉は薩摩の人だよ

282 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:00:11.15 ID:1TVSSsEDO
淡水と海水を区別出来ずに水行とか書く訳ないな

283 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:00:41.85 ID:DjyLR3U70
>>274
しかし日本人は倍返しを基本にしてたようだが
ときどき朝貢の記録が途切れるのは、そのせいで財政破たんしたんだろうな

284 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:00:55.05 ID:9jWsBbk00
大川大先生にお願いして卑弥呼の霊言だしてもらえれば一発やで

285 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:00:56.41 ID:FRq1bgk50
>>279
ココ電オイオイw
どんな反論だww(´・ω・`)

286 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:00:58.25 ID:AlM5zlXCO
>>273
そうそう魏志倭人伝は捏造

287 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:01:05.54 ID:G0VSziQb0
>>240
妄想乙w

288 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:01:20.80 ID:j/zRr7JH0
大阪湾から上陸しても一月はかかり過ぎだろ

289 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:01:22.59 ID:LdJ0vr3y0
>>277
平野には住んでないだろ
現在の筑紫平野のど真ん中ではなく
周りの丘陵や山麓に集落のあった
当時の平野は沼沢ばかりで移動困難だったはず

290 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:01:35.26 ID:9xoePp7C0
>>241
隼人は遠いし大勢にも影響ないから放置
国内主要部があらかた片付いて残るは蝦夷と隼人の端部くらい
軍のやることがなくなってくると畿内律令体制テリトリーに加えようと強硬化させる
怒った隼人が国司を討ち取り朝廷はこの機に薩摩大隅を完全管掌下に置こうと軍を派遣
しかし隼人は武器を携帯させて天皇近侍に置くなど扱いが蝦夷と異なる
護衛を数年勤めた後は田を与えられて耕し畿内の一般民化して歴史から消えた
蝦夷は自活を期待して全国各地に移配されたが自活することなく馴染むことなく
専ら刀槍の訓練や狩猟に明け暮れた

291 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:01:53.13 ID:G0VSziQb0
>>277
基本的な勘違いしてる人乙

292 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:01:58.37 ID:5KZdCYl30
エジプト文明の源となったナイル川河口部は、上流から押し流されてくる土砂の中に
養分が多く含まれていたので植物の生育に有利で、この氾濫を押さえる土木技術を
古代人が手中に収めてから小麦の生育に有利な農地に変わり、エジプト文明が生まれた。
日本でも河川氾濫原や干潟を氾濫から守る土木技術を手中に収めてから日本文明が
始まったと考えるべきだろう。倭人伝に記された邪馬台国はまだそのレベルには達して
いないという印象だ。したがって、邪馬台国は大和朝廷とは無関係で、畿内にはなかった
と考えるべきだ。

293 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:02:05.11 ID:QrdKwy8g0
邪馬台国は台湾ですよ。
大和は何千年も前から砂糖を食べていたのです。

294 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:02:07.98 ID:UAHIeCgR0
>>278
記紀に倭国の記述がない→倭国をなかったことにする

白村江→遷都

これらそれぞれはよいとして

倭国をなかったことにしたかった理由はなに?

295 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:02:25.91 ID:j/zRr7JH0
>>286
数万を超える人口なんて数えられるわけないし

296 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:02:47.08 ID:+/tGclid0
俺の仮説
元々九州に『ヤマト』という都市国家が存在していた
しかし勢力争いに破れたため九州を追われ
文明開化の遅れてる畿内の奥地を新たな拠点とし
そこにヤマトと名付ける
さらに見栄を張ってオオヤマト(大和or大倭)と呼ぶ事になる
卑弥呼がいたヤマト国がどっちかはわからないけど

297 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:03:23.39 ID:LdJ0vr3y0
>>283
中華のほうが倍返しだろ
ねぎらいのためにさらに豪華な土産を多く持ち帰らせる

298 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:03:54.44 ID:AlM5zlXCO
>>276
なんで陸路で瀬戸内海なんよ。
糸島から陸続きに門司まで航海すればいいだけ

299 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:04:33.48 ID:DjyLR3U70
>>297
記録では日本のほうが倍返し

300 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:05:07.54 ID:j/zRr7JH0
>>292
奈良盆地の古琵琶湖層群で粘土分が多く、農具の未熟な当時稲作は不可能

301 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:05:16.39 ID:AlM5zlXCO
>>295
そうそう魏志倭人伝は捏造

302 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:06:01.68 ID:DjyLR3U70
もう伊都国が糸島で楽浪郡の役人常駐ってわかれば
畿内説なんて終わり
魏の歴史の指す国は九州北部のこと
別に疑問の余地もないだろ

303 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:06:33.26 ID:TbTb7XQG0
>>296
九州に都市国家があって勢力争いに九州が負けて新たな中心が畿内となった
これはそのまま通説だしだから九州の都市国家の名がヤマトである意味はないだろ

304 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:06:44.51 ID:G0VSziQb0
>>301
捏造する理由が無い。却下。

305 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:07:05.07 ID:FRq1bgk50
>>289
朝倉〜久留米あたりは平野だし
八女や熊本も平野だし

ただ広大な佐賀平野が
当時存在しないだけよ(´・ω・`)

306 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:07:08.14 ID:F1DvrOSj0
全国の八幡宮の総本山宇佐八幡が大分県北部にある
天皇家とも繋がりが深い
御神体は国東半島の東端、奈多宮から海に流されていた
海の向こうは四国が見える

宇佐八幡と奈多宮その先にある四国

謎は解けた

307 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:07:19.12 ID:G0VSziQb0
>>295
概算だから可能。

308 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:07:23.42 ID:3lctguYg0
>>298
陸路のほうが安全でしょ
できるだけ安全を期するのは当然のこと

309 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:07:57.66 ID:G0VSziQb0
>>286
捏造する理由が無い。却下。

310 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:08:28.01 ID:G0VSziQb0
>>308
妄想乙w

311 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:08:29.60 ID:x+BzSW810
九州(邪馬台国)以外にも出雲にも吉備にも大和にもそれなりの規模の国があったって
考えたらいかんの?その後、統一したりいろいろあって大和だけが残ったって感じなん
じゃないかなあ。

312 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:09:06.00 ID:se2KzcjL0
「飛」の略字は「升」

難 升(飛) 米
ナ ト    メ

国 王 師 升(飛)等  『後漢書』
國 王 師 升(飛)至  『翰苑』
クニオ シ ヒ   ト = 国押人命 = 第6代孝安天皇
 
大倭帯日子国押人命(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)
=孝安天皇 = 国 王 師 升 等 くにおしひと  『後漢書』
翰苑では「後漢書曰、安帝永初元年、有倭面上國王師升至」やまと くにおしひと
等は「〜〜たち」の意味ではなく音。
トの音。だから翰苑では「至」イコール「等」
意味ではなく音。孝安天皇。

欠史8代は実在。

313 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 17:09:22.21 ID:nGZ23NP+0
>>294
中国が攻めてくるからだろ

314 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:11:07.77 ID:WgOtrXEe0
隋、唐を建国した鮮卑族はその前の北魏の時から中国風になっている
これもやっぱり文字がないからだろう

その後の北方民族、突厥、次の契丹などは独自の文字を作っている

315 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:11:14.65 ID:j/zRr7JH0
伊都国は魏の役人が駐屯所だった。
また邪馬台国は王都、祭祀の都、伊都国は行政の都だった。
魏の使節は一つ一つの国に行ったわけではなく、どのへんにあるか倭の役人に聞いた。
当然、伊都国からどれくらいかかるかという答えになる。
放射読みが自然

316 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:11:15.65 ID:TbTb7XQG0
>>311
九州(邪馬台国)ってのがいかん

317 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:11:22.22 ID:AlM5zlXCO
>>304
早く成仏しなあさい

318 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:11:51.00 ID:iePAg8iE0
>>302
バカですか、畿内説では伊都は糸島の方が有利なんだがw

319 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:12:04.98 ID:se2KzcjL0
ちなみに、天照大神=卑弥呼+台与の根拠。
これは、魏志倭人伝と記紀の類似性による。

1、共に女性でありながら、卑弥呼は倭王。天照大神は高天原の主宰神と最高の
地位にいること。
2、共に巫女的な女性であり、夫がいない。
3、共に、鏡と関係がある。
4、天照大神は間違いなく太陽神。卑弥呼を日ノ御子ととらえればこれも
太陽に関係がある。
5、天照大神には素戔鳴尊、卑弥呼には狗奴国という宿敵がいる。

6、天照大神は素戔鳴尊の乱暴に怒って天岩戸に隠れる。卑弥呼は狗奴国との
争いの最中、張政がやってきた頃に亡くなる。

7、天照大神が岩戸に隠れると高天原や葦原中国は真っ暗になり、卑弥呼が
死ぬと、跡継ぎをめぐる争いが起こり、千人あまりが殺される。

8、天照大神が岩戸から出てくると高天原はもとのように明るくなる。
台与が女王に鳴ると国中がついに定まる。

9、天照大神が岩戸から出ると高皇産霊尊が登場し、共に高天原を
治める。台与が女王になると、また男王が立ち中国の爵命を並び受ける。

320 :◆HKZsYRUkck :2016/03/06(日) 17:12:15.97 ID:UZNoOrgb0
>>292
> この氾濫を押さえる土木技術を古代人が手中に収めてから小麦の生育に有利な
> 農地に変わり、エジプト文明が生まれた。
> 日本でも河川氾濫原や干潟を氾濫から守る土木技術を手中に収めてから日本
> 文明が始まったと考えるべきだろう。

いや、氾濫を押さえちゃダメなんだって。氾濫することによって栄養豊富な山の土が、
まんべんなく田畑にいきわたると。このあたりは、近世以降の常識で考えちゃ
いかん気がする。

321 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:12:46.03 ID:j/zRr7JH0
>>307
捏造も可能

322 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:12:54.11 ID:5KZdCYl30
>>300
これでも読むんだなw
  http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8075941.html
  

323 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:12:58.71 ID:x+BzSW810
そういやヤマトは「山門(山戸)」だと思うんだよね。でも今の奈良はそんな
感じがしないんだよな。生駒/信貴山ってそんなに高い山でもないし。昔は海
からすぐ山があったらしいから、今とはまた違うのかもしれないが。

324 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:13:04.77 ID:16apR+070
>>311
どこの国の歴史も中央集権化はそんなもんだよ

325 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:13:07.06 ID:aUbJSL2Q0
>>311
その可能性もあるわな。

たまたまアクセスに恵まれてた九州が、中国と交流するにあたりいかにも覇者であるように振舞っただけの
可能性もある。

326 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:13:52.02 ID:+/tGclid0
ヤマト国は魏から倭王として認められてたから
ヤマト族を追い出した勢力がヤマト国を乗っ取るか継承する形にした方が
外交上のメリットが大きいから
そのままヤマトの名を使い続ける価値はあると思うよ

327 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:14:01.75 ID:LdJ0vr3y0
帯方郡から邪馬台国までは一万二千余里で
帯方郡から朝鮮半島の南岸までは七千余里
海を渡って千余里で対馬
千余里で壱岐
千余里で松浦
少なく見積もっても松浦までで総行程一万二千余里のうちの
一万里は使ってる
多くても残りは二千里だ
伊都国までは五百里
伊都国から邪馬台国までは残り千余里だ
ていうことで末盧国から伊都国までの3倍くらいのところが邪馬台国だぜ

そこは筑紫平野だろう

328 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:14:17.20 ID:iePAg8iE0
で、九州説では丹山が紀伊半島に存在する事はスルーですか?

ベンガラなんて朝貢しても中国人にぶちぎれられるぞw

329 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:14:18.11 ID:se2KzcjL0
伊勢神宮の天照大神の御神名は「大日孁貴尊」という。
日本書紀では「大日孁」を「於保比屡孁能武知(おほひるめのむち)」と読むとしてあるが、
「大日孁貴尊」の‘大’`貴’‘尊’は尊称であって、実際の名は「孁女」である。
この読みについて`日’は‘ひ’と読むが‘孁’と言う漢字は中国現存の最古の辞書「説文解字」に
「孁、巫也」とあり、「孁」の漢字は「みこ」と読むのが正しいようである。
これにより本来の天照大神の御神名「大日孁貴尊」は「おおヒミコむちのみこと」と読むべきである。
古代中国では他国の人たちを見下して卑しい文字を使って書く風習があり、
魏志倭人伝で倭国女王「日孁(ひみこ)」を卑しい文字で「卑弥呼」としたと考えられる。
すなわち天照大神は魏志倭人伝の卑弥呼のことである。

330 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:14:18.29 ID:AlM5zlXCO
魏志倭人伝と日本書記は作り話

331 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:14:25.68 ID:WNTfD2XB0
外敵の魏人を最短ルートで案内するわけないわな可能な限り分かりにくくして嘘で固めてるから書いてある通り行っても邪馬台国にはつかない

332 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 17:14:33.00 ID:nGZ23NP+0
>>320
それは小麦の話
水耕田は氾濫などいらない永久耕作方式

333 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:14:37.15 ID:RELL1lrP0
>>288
粉モン美味すぎて食い倒れてたのかも。

334 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:16:01.47 ID:G0VSziQb0
>>321

>>309

335 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:16:30.74 ID:UAHIeCgR0
>>306
そうそう
宇佐八幡の本殿の下は、地層らしいものがなく玉砂利や角石で埋まっていて完全的な盛り土
社殿の下には謎の石棺が埋まっていて
地元ではもともと古墳だったと言い伝えられている。


社殿の真ん中にはヒメオオカミが鎮座している

336 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:16:39.22 ID:G0VSziQb0
>>330
記紀だけ捏造。
魏志倭人伝は捏造する理由が無い。
却下。

337 :◆HKZsYRUkck :2016/03/06(日) 17:16:40.97 ID:UZNoOrgb0
>>332
それは「施肥」という概念ができてからの話で、少なくとも奈良期までは下る。

338 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:17:02.47 ID:AlM5zlXCO
>>334
御井たろ

339 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:17:08.09 ID:16apR+070
>>320
あんまり早い段階から堤防きずいても河床が上がり過ぎる土地が日本に生まれてたな
ゆっくりでよかった

340 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:17:31.56 ID:G0VSziQb0
>>316
お前がいかんw

341 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:17:40.46 ID:NiFb7/Ml0
>>131
ちょっと別の話するけど
近江は畿内ではないよ
古代では関東だった
今で言う東日本みたいな感じ

342 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:17:47.54 ID:G0VSziQb0
>>338
近畿たろ

343 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:18:47.82 ID:LdJ0vr3y0
>>306
国東(くにさき)

つまりヤマトのクニの先のほう、東にある地が国東だ

もともとヤマトのクニは国東より手前、西にあったってことだ

344 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:18:52.43 ID:TbTb7XQG0
>>327
ちゃんとはっきりかこう
伊都国から奴国まで百里
奴国から不弥国まで百里
邪馬台国までのこり千三百里
伊都国から奴国まで30km
つまり奴国から邪馬台国まで400km
筑紫平野突き抜けますがな

345 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:19:09.07 ID:DjyLR3U70
朝貢しすぎによる国倒れもありえるな
中国相手に倍返ししてたら、国は疲弊する
九州北部も倭の5王の王国もそうして潰れたのかもしれん
文字もない土人だから経済観念が乏しかったと
聖徳太子あたりでやっと気が付いたんだろうな
中国相手に倍返しなんてしてたら国が潰れるぞと
それで日本としてやっていかないといけないという自覚が生まれた
これ
経済を基軸に考えると割と正確に歴史は追えると思う
経済は筆では誤魔化せないからな

346 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:19:28.60 ID:iePAg8iE0
宇佐なんて全然新しすぎて論外だぞw

347 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:19:48.26 ID:G0VSziQb0
>>332

>>6読め猿w

348 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:21:14.63 ID:j/zRr7JH0
>>334
理由はある。
司馬懿は公孫氏討伐の功績に上乗せするため、倭の人口を過大に報告する必要があった

349 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:21:28.35 ID:ATPe0EWO0
>>341だけど関東ではないか
まあ近江が畿内ではないのは確か
東山道で古代日本で近江は東日本みたいな感じではあった

350 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:21:28.81 ID:I5na6hee0
台国、、、台湾国、、
+
中国「邪魔はだなあ」、、、
=
邪馬台国

351 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:21:45.82 ID:G0VSziQb0
近畿説はもう消えた。


東征・東遷も消えた。


この二つを言うバカはただの猿。






 

352 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:21:57.18 ID:+/tGclid0
>>319
俺も卑弥呼はアマテラスだと思う
アマテラスとして考えると
記紀の記述ではアマテラスは現在の博多区にある住吉神社あたりで生まれた事になってるが

奈良に天皇家が誕生した時は
アマテラスは鏡になってる
という事は生前の卑弥呼は九州にいて
没後に奈良に移動した気がするんだよね

353 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:22:01.50 ID:se2KzcjL0
>>344
女王国までが12000里

奈良までが12000里ではない

北九州までが女王国のテリトリー

次有奴國 此女王境界所盡

奴国は女王の境界のつきるところ。

奴国の比定地が北九州。

ttp://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/8a/6c/rokusho695/folder/616048/img_616048_15997567_0

上の各國の比定地は若干後のヤマトの朝廷の時代の支配域よりも九州が狭い(奴国まで)

奴国(女王国メンバー)

次有斯馬國次有巳百支國次有伊邪國次有都支國次有彌奴國次有好古都國次有不呼國次有姐奴國
次有對蘇國次有蘇奴國次有呼邑國次有華奴蘇奴國次有鬼國次有爲吾國次有鬼奴國次有邪馬國
次有窮臣國次有巴利國次有支惟國次有烏奴國次有奴國

此女王境界所盡 ←

354 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:22:59.47 ID:iePAg8iE0
結局畿内説しかまともな説は残ってないだろw

355 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:22:59.72 ID:j/zRr7JH0
そろそろ九州のどこかを考える段階だな

356 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:23:04.73 ID:fTcdu6Eb0
【話題】韓国人モデルが昭和天皇の生首写真を公開 [無断転載禁止]©2ch.net

1 : ◯( ´∀` )◯ ★@転載は禁止2016/03/06(日) 16:53:00.88 ID:CAP_USER*
韓国の写真家が昭和天皇の生首写真を公開 「気持ち悪い悪趣味」と批判殺到

米国で活動する韓国人女性写真家の写真が問題となっている。その女性写真家は
昭和天皇の首を切り落としたかのような生首画像を公開。

「日本兵たちは逆らった少女(慰安婦)の首を切り落とし沸騰した鍋に入れ、
水のように他の少女達に飲ませたの。かの国で生神とされるヒロヒト天皇のこの
生首はどう?謝る積りはないよ。可愛そうな少女達を思えばね」

としているという。この写真をTwitterで投稿されているが、投稿しているのは写真家本人では無い。

http://gogotsu.com/wp-content/uploads/2016/03/00143.jpg
https://pbs.twimg.com/media/CcxrxHKUsAAQGzS.jpg

この写真を見た人はTwitterで「面白いの?これ」「気持ち悪い。恐ろしい。!!」
「こういう事をしちゃうのが異常なのょね」とつぶやいている。

http://gogotsu.com/archives/16505

↓リンク先にぼかしなしの元画像

yoonajoung
Photographer. Model.
https://www.instagram.com/yoonajoung/

357 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:23:14.31 ID:DjyLR3U70
金印もらえるほど朝貢した
これ確実だもんな
しょぼい貢物では金印なんかもらえない
周辺国が銀とか銅なんだから
アホみたいに貢いでしまった
だから疲弊して奈良に勢力を取られた
これだな

358 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:23:19.64 ID:5KZdCYl30
>>339
天井川(河床上がり過ぎ)は日本にはけっこう多いけどなw

359 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:23:39.01 ID:LdJ0vr3y0
>>344
余里ってのがあるからね
七千余里、千余里、千余里、千余里、
これだけで千里はいくと思うけど
そしたら残りは300里だぜ

360 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:23:40.87 ID:b/xnMFy+0
チョンとかいってるレイシストはヤクザと一緒で人権なしでいいよ。
見つけたら殺そう
レイシストは殺せ

361 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:24:17.63 ID:j/zRr7JH0
行政を九州に任せて王都が遠く離れた畿内にあるわけがない

362 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:24:29.32 ID:pBJHy1R30
畿内から中国まで使節を派遣するってことは、あの時代に
少なくとも西日本を統一してる勢力があったってことになるんだろ
考古学的な資料が出てきてもおかしくないんだが、それがないしなあ、
畿内説はもう厳しい

363 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:24:37.61 ID:Bx//En3j0
ここで硯が見つかるのと邪馬台国の所在の因果関係がわからん

364 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:25:16.70 ID:16apR+070
加羅のことを伽耶って言ってるのは学問的に間違い。
現代政治の歴史捏造への誘導

365 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:25:22.15 ID:D54Nk4+00
>>339
日本は平野が本格的に開拓されるのは江戸時代
日本の田畑は谷戸と呼ばれる谷あいから始まったんだよね

366 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:25:59.00 ID:se2KzcjL0
>>360
■日本に帰化した韓国人も兵役義務を果たしていない方は韓国籍が残ったままです!■

韓国政府が国籍離脱を認めなければ、日本国籍は当然剥奪されます。
韓国兵役庁曰く、「日韓ハーフの方々も兵役を受けてもらいます。」とのこと。
「父母のうち、どららか一人が韓国人の場合、その子供は大韓民国の国民になります!」

韓国政府は在外を含む国民全てに住民登録を約束しています。
不備があれば在外居住者に対する不当差別になってしまいますので、
現在、一生懸命に情報を収集しております。

皆様で、在日韓国人、帰化人の情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら
韓国政府へご連絡してあげて下さい。

韓国政府は未兵役者の国籍離脱を一切認めておりません。
日本に帰化した韓国人のほぼ100%が違法です。
よって日本国籍は剥奪されます。
どんな些細なことでも結構です。
韓国側のリストから漏れてしまっている在日韓国人や帰化人がいるかも知れません!!

韓国政府連絡先:

韓国大統領府 / 青瓦台   ttps://twitter.com/bluehousekorea
韓国兵務庁(徴兵)   ttps://twitter.com/mma9090
韓国行政自治部(在外国民住民登録)ttps://twitter.com/happymogaha
韓国企画財政部(徴税)    ttps://twitter.com/mosfkorea

日本語での情報で構いません。

367 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:26:49.27 ID:DjyLR3U70
アホみたいに朝貢するから荷物は重い
陸行1か月はそのせい

368 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:26:50.13 ID:mav7bPtu0
何十年も前からずっとやってるよねこれ。

邪馬台国あるあるビジネス。

369 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:26:57.14 ID:j/zRr7JH0
>>362
九州にはない高地性集落が畿内にあるし、九州は銅矛、畿内は銅鐸。
緊張状態で文化も違う。とても統一された状態とはいいがたい

370 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:27:16.89 ID:xtT2gyUF0
邪馬台国は半島の文明人が九州に移住して造った国という説は韓国では定説

371 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:27:30.93 ID:TbTb7XQG0
>>355
九州説の難点は九州だってところで止まってて
具体的にどこってなるとあーだこーだでまとまってないとこだな

372 :◆HKZsYRUkck :2016/03/06(日) 17:27:54.83 ID:UZNoOrgb0
>>339,>>358
人が自分で肥料を入れ始めたら、氾濫は無用なんだよね。
だから今度は堤防を築いて抑えようとし始める。その結果は
氾濫必至の天井川で、今度は輪中でせめて集落だけでも
守る羽目になると。
沖積平野の農業は難儀な営みだよなあ。

373 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:28:37.47 ID:se2KzcjL0
>>369
>>362
>>361
はい論破。

自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之、常治伊都國。於國中有如刺史
検察を畏れはばかる。

卑弥呼の時点で近畿の九州支配が完成している。

中国の刺史とは?

「地域の行政権を完全に握る」

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/刺史


伊都國
丗有王皆統属女王國郡使往來常所駐
代々の王が女王国に統属する。

王が王に仕える。大王原型が既に出来上がっている。
卑弥呼の時点で福岡の代々の王がヤマトに仕える関係であり

近畿の集団の九州支配と書いてある。

374 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:28:57.20 ID:LdJ0vr3y0
>>370
むしろ逆
海洋民族の倭人が海を越えて朝鮮半島南岸に住んでいた
後々倭人が朝鮮化だけ

375 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:28:58.71 ID:9jWsBbk00
宮崎にある西都原遺跡群ってアレなんだよ

376 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:29:08.64 ID:DjyLR3U70
そんなもん川を船ひっぱって20日、剣とか鏡のつまった箱をひきずって1か月でどこまで行けるか試せばわかる

377 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:29:11.73 ID:iePAg8iE0
>>363
ただ伊都だろうという可能性の高い場所が
特定できる材料が増えただけなのにね。

なぜか九州説が大騒ぎするけど、方角間違えてる説が
実証されただけというw

378 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:29:16.64 ID:igxvtUja0
どうしてまつら国から陸行したのか?

安全な停泊の為であろう。
長い海岸線が続く福岡北部と違い松浦半島北部は入り組んだ地形になっている。

秀吉の朝鮮出兵でもわざわざ博多を通過して名護屋に基地を設けてる

379 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:29:36.20 ID:G0VSziQb0
>>348
妄想乙w

380 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:29:38.63 ID:YUKB6g+00
邪魔大王国

381 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:30:07.33 ID:G0VSziQb0
>>371
具体的には御井だよ。

382 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:30:34.57 ID:G0VSziQb0
>>375
投馬国(妻国)ね。

383 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:31:12.11 ID:G0VSziQb0
>>363
直接は勿論無いよ。

384 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:31:53.81 ID:G0VSziQb0
>>373
死ね低脳wwwww

385 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:32:05.26 ID:iePAg8iE0
>>369
三世紀なんてとっくに銅鐸埋められてますが?

勝手に捏造する意味は何かな?

386 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:32:19.36 ID:se2KzcjL0
>>377
位置関係が確定している

末盧國 → 伊都國 → 奴國 が2つとも「東南」とされていて

で現実と90度ずれている。

実際は東北。

奈良邪馬台国へ「南」表記は東への解釈でむしろ正しい。

不弥国は奴國の「東」だから実際には北の宗像市海沿いを比定しなければならない。

奈良時代は波の荒い日本海側ではなく、穏やかな瀬戸内海を通って奈良へ行っていた。

吉備岡山、奈良コースで確定。 

九州はないw

中国では東夷といい近世まで沖縄諸島と本州を混同していた。

南へ水行30日陸行一月 

ちなみに仮に日本海側で降りたら南へ方向を変える必要がある。

387 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:32:33.57 ID:ilIRzOz+O
いつの間にか★7ってw
ゆっくり読ませて貰うわw

388 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:32:46.53 ID:G0VSziQb0
>>373

>>157

wwwwwwwwwwwwwwww

389 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:33:14.98 ID:G0VSziQb0
>>387
読まなくていい。>>6で結論出てるw

390 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:33:21.01 ID:zhE+uwNU0
>>232
何の話だ?
いちいち米を船に乗せたり降ろしたりしたのか?
どういうレスだよ
ずっと船に乗ってりゃいいだろう
一体、ルートはなんだと思ってるわけ?
九州上陸のあと、また航海したなんて描写はないぞ
瀬戸内海を通った描写もない
海路では一番長い旅になるんだが

>>235
険しい山越えw
君日本人?
舞鶴、小浜辺りからなら山越えの必要無いんですが

>>245
この手の度外れたレスはほんとに困るなw
畿内説こそ伊都国の必要はない
邪馬台国の近くに交易や通商のセンターのようなものがあったんだろう
政治のセンターと交易のセンターが一致するわけではない
そこで休憩、で、面談だ

元寇とかw
彼らは占領に来たんだよ
大軍が上陸しやすい所を選んだ
なんでわざわざ京都鎌倉までいくんだよ

なんで、バカばかりにレスされるんだが
バカに祟られてるのかなw

391 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:33:29.04 ID:G0VSziQb0
>>386
早く成仏しなさいw

392 :名無しさん@1周年 転載ダメ©2ch.net:2016/03/06(日) 17:33:37.16 ID:xLL4+YC5O
>>5
よく議論される邪馬台国は女王国、つまり都の位置
だからどっちかだ
第一、畿内説にしたってこの伊都国とかは
ほぼ確定だから九州は勢力下だったのは言うまでもなし

393 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:33:52.87 ID:609qVFFv0
>>362
金印の出た志賀島を拠点に活動していた豪族は
信州信濃に引っ越して安曇族を名乗り
穂高岳のてっぺんに神社を立てて
穂高神社の上社としている。
 
安曇族そのものはその後姿を消してしまったが
お船祭りは毎年行われており
海にまつわる一族であったことを今に伝えている。

394 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:33:52.88 ID:G0VSziQb0
>>377
妄想乙w

395 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:34:02.33 ID:j/zRr7JH0
>>373
近畿を示す記述がない

396 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:34:12.66 ID:G0VSziQb0
>>367

>>6

397 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:34:59.85 ID:zhE+uwNU0
>>389
どうでもいいが、雇われ店長説はやめろw
ネタか
雇う必要などない
直接統治しろ、阿呆

398 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:35:18.39 ID:se2KzcjL0
>>395
ヒント

倭人伝

399 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:35:26.18 ID:igxvtUja0
本州に渡ってたのに、関門海峡について記載がないのは不自然だな

400 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:35:43.28 ID:LdJ0vr3y0
女王之所都、水行十日、陸行一月

ってのは出発点からの時間じゃねえの
松浦から歩いて途中で伊都国とか奴国に滞在しながらの行程じゃね?

401 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:35:43.98 ID:j/zRr7JH0
>>379
司馬懿はクーデターに成功して政権奪取している

402 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:36:01.19 ID:AlM5zlXCO
>>396
でたーーーーhttp://imepic.jp/20160306/632330

403 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:36:48.81 ID:G0VSziQb0
>>397

>>6でオケ

404 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:37:13.50 ID:3QcUVRU50
>>329
ヒルメと読ませるとヒルコとの対応させる隠示が理解できなくなる
ヒルメに読みには秘する神話の構図が入ってるから
それを理解できないという天孫降臨の際の神勅を破ってミマキ入日子が
鏡祭祀を伊勢に落ち着くまでの流浪の原因になったのかかがわからない

405 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:37:39.99 ID:j/zRr7JH0
>>385
邪馬台国時代も九州と畿内は文化圏が異なる

406 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 17:37:47.00 ID:nGZ23NP+0
>>376
沖縄にたどり着くが

407 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:37:48.59 ID:+/tGclid0
>>6
>神武は近畿に招かれて行った雇われ店長

だとしたら
よそ者を店長として雇える機内の方が力関係は上ってこと?

408 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:37:58.89 ID:iePAg8iE0
>>395
倭人伝には市の存在や大倭が存在するだろう。
天理市付近は櫟本(イチノモト)という地名だし、
箸墓の大字も太市、太市墓という。

409 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:38:10.18 ID:G0VSziQb0
>>398
バカ?

410 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:39:06.50 ID:I5na6hee0
蛭子さんは天草の出身だよ

411 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 17:39:34.92 ID:nGZ23NP+0
>>398
え 

ああ知らないのに 情報を小出しにしていかにも知ってるふりですか
若いアホはみんなそんなことをやる

412 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:39:51.88 ID:j/zRr7JH0
>>398
ならいいが

413 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:40:26.08 ID:609qVFFv0
>>393
なぜお宝の金印を持ってこなかったのか、と
今ふと思った。

414 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 17:40:33.67 ID:nGZ23NP+0
>>408
なにを言ってるかわからない
馬鹿なの?

415 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:41:26.01 ID:DjyLR3U70
>>406
やって見せてよ
どうやら当時の物資運搬の一日の移動距離は10キロもないらしぞ
そらろくな道がなければ、木ぞりをてこ押して雑木を切り開きながら進むわけだからそんなもんだよな

416 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 17:41:34.61 ID:nGZ23NP+0
ていうか 重い荷物とか書いてる馬鹿は方向が逆だって理解してないの?

417 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:41:36.40 ID:G0VSziQb0
>>407
そうだよ。神武の時にはもう力関係は逆転しちゃってたわけね。

418 :名無しさん@1周年 転載ダメ©2ch.net:2016/03/06(日) 17:41:45.60 ID:xLL4+YC5O
>>399
上陸後しばらくしてから水行はしてんだよね
まぁそのときにお偉いさんが倭側の
粗末な船嫌って残ってるし
畿内行くにはそれまでずっと
海岸沿い移動してる事になるから
そんな事になるなら来た船で
ちょくちょく停泊しながら行っとけwってなるんだけど

419 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:41:52.46 ID:iePAg8iE0
>>414
本当に無知なんだな、この辺りは黒塚古墳もあるのだが。

420 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:42:06.92 ID:eXfb1NGJ0
翡翠大珠は、全国で約200個出土されています。北陸、中部、関東で
全体の約70%で縄文時代後晩期には北九州に出現しますが、
近畿・中国地方では出土していません。
(勾玉屋コレクションのHPで勾玉の歴史(1)勾玉のはじまりから引用)
美しい翡翠の勾玉は、北九州に多く出土され、
それは縄文時代の形と同じである事が多いようです。これは北九州地方に大きな勢力があり、
縄文時代の勾玉を集めたと思われます。
勾玉の出土を調べていくと、物の流れや文化、権力の移り変わりが分かってきます。
大珠が近畿・中国地方から出土されないのは近畿・中国地方と
関東・中部・北陸地方の部族とは異なった部族だったと考えられています

421 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:42:23.79 ID:56JObfP50
ハニワ原人いたの?

422 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 17:43:06.82 ID:nGZ23NP+0
>>415
こいつ

中国が倭国に朝貢してたとか思い込んでるニワカのアホ

423 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:43:32.32 ID:G0VSziQb0
>>407
邪馬台国は卑弥呼の後急速に衰える。
近畿は邪馬台国のブランドと中国の邪馬台国の後継者のという承認が欲しかった。

424 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:43:33.55 ID:j/zRr7JH0
>>400
水行十日 「または」 陸行一月

425 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 17:43:39.69 ID:nGZ23NP+0
>>419
だからなに?

426 :◆HKZsYRUkck :2016/03/06(日) 17:43:48.25 ID:UZNoOrgb0
>>329,>>404
けっこうどうでもいい話だが、ヒルメの「ル」は助詞の「の」と同じだと聞いたことがある。
たとえば、岬のことを古日本語で「サタ」と言うが(各地にサタ岬が残ってるよね)、
国つ神のサルタヒコもまたサタの神だったと。
ただし、ヒルコの「ル」が何かは知らん。たぶん別物だよねw

427 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:44:00.62 ID:G0VSziQb0
>>424

>>6

428 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:44:30.46 ID:G0VSziQb0
>>424
つかそれ単なる間違い。
他もそうしたはず。

429 :三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2016/03/06(日) 17:44:50.39 ID:IKFHM3sT0
>>400
案内がいなくて道に迷ってたら、それくらいかかるでしょ。
実際彷徨って大和までたどり着いた都怒我阿羅斯等ってのがいるし。

430 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:45:01.08 ID:1TVSSsEDO
大和政権が全国支配するのに律令制をもってその後仏教を利用してはじめて統治出来ているのに
それ以前に奈良から九州を統治して貿易センターとなる伊都を管理出来るわけがない
つまり畿内説基地外の戯言
邪馬台国が奈良にあるわけがない
全く別物か東征した九州の民族が正当性をうたうため後世にヤマトを名乗ったに過ぎない
女王国があったのはは九州中部あたりまでのどこかで周りを邪馬台国連合国家が固めていたと見るべきである

431 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 17:45:06.25 ID:nGZ23NP+0
>>423
衰えたのに唐ー新羅連合軍と戦争おっぱじめたの?

432 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:45:38.44 ID:LdJ0vr3y0
>>424
またはなんて書いてねえし

433 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 17:45:50.59 ID:nGZ23NP+0
iQb0 は頭のおかしい人

434 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:46:25.30 ID:3QcUVRU50
>>408
櫟本(イチノモト)は奈良県の山辺の道の西側の平尾山一体が
記紀の時代に石上山と呼ばれてその麓に石上市があった影響と思う

435 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:46:36.03 ID:+/tGclid0
>>413
金印の所有者である奴国が
安曇一族に滅ぼされたと考えれば辻褄合わないかな?

436 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:47:23.80 ID:p8cgARZl0
【ジャップ】米国の写真家が「昭和日王生首」斬首画像をアップ
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1457253266/
Hazama Hisatake@Hazama_Hisatake 3月5日

米国で活動する女性写真家の作品。
「日本兵たちは逆らった少女(慰安婦)の首を切り落とし沸騰した鍋に入れ、
水のように他の少女達に飲ませたの。かの国で生神とされるヒロヒト天皇の
この生首はどう?謝る積りはないよ。可愛そうな少女達を思えばね」
https://twitter.com/Hazama_Hisatake/status/706057733791813632

437 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:47:30.52 ID:4NEoY4rk0
魏志倭人伝にしか出て来ない
九州北部の女王国の邪馬台国の話してるのに
どうして邪馬台国が畿内に引越す話になる?

倭人伝に瀬戸内海に入る方法だとか四国本州の存在、島々の多さ
大阪の港や上陸後の畿内の地誌なんて何にも説明してないだろ?
太平洋経路でも四国の説明と淡路島か紀伊半島熊野の説明は必要。

魏書は一貫して九州北部の説明だし、
大和朝廷との関連も後の中国の史記が全て説明してるだろ?

邪馬台国畿内説じゃ無くて邪馬台国が朝廷の起源説は魏誌倭人伝と無関係だし
そんな歴史はどこにも存在しないだろ。 何言ってんの? 

畿内説はちょん? 日本神話、古事記至上主義なんてネトウヨにもね〜だろ?

438 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 17:48:52.04 ID:nGZ23NP+0
金印なんか持ってたら倭国だってばれるだろ
偽装国家大和朝廷をつくるときに 九州に埋めてきたんだろ

439 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 17:49:25.23 ID:nGZ23NP+0
>>437
ひんと 大阪人は嘘つき

440 :◆HKZsYRUkck :2016/03/06(日) 17:49:38.67 ID:UZNoOrgb0
>>435
「演義」の方の三国志だけど、後漢が滅びるときに
侍女が玉璽を抱いて井戸に身を投げたエピソードみたいなのが、
奴国滅亡のときにもあったかも知れんよね。

441 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:50:45.06 ID:rD0esUx9O
>>390
占領に来ようが外交に来ようが、「船に人が乗って来る」のは同じだろw

人が来るんだから、食料や水は不可欠。当時の木造船舶で半島から畿内までノンストップで来れる程の食料や水を積載出来る訳ないだろw

単に、補給地が必要ってだけの簡単な話なんだよ。

442 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:51:07.56 ID:DjyLR3U70
どうも日本人が書いた歴史書である大和朝廷編纂の歴史に、現実を合わせたいって願望があるだろうな
現実のほうを重視してない

443 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:51:21.02 ID:iePAg8iE0
>>425
黒塚古墳の出土品位は知ってるよな?

>>430
七万戸の居住跡を求められない九州は無理だよ。

444 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:51:58.74 ID:DPnFg2KD0
神の手事件から考古学には疑いの目をもっている

445 :三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2016/03/06(日) 17:52:10.13 ID:IKFHM3sT0
>>437
逆に魏志倭人伝至上主義もどうなのよ。
魏の使者と言ったって正確誰かもわからない人の報告がどれほど信用できるのか。
記紀も不確実なものだが、魏志倭人伝はそれ以上に信用はできんな。

446 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 17:52:16.63 ID:nGZ23NP+0
魏志倭人伝を大和朝廷が書いた説が出ました>>442

447 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:52:43.58 ID:iePAg8iE0
>>437
韓国人の学者に九州説が多いのはスルーか?

448 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:53:05.12 ID:DjyLR3U70
>>443
九州は奈良中心史観のせいでちゃんと調べられてないのさ
だっていまごろ楽浪郡の硯が糸島から出てきましただろ
ほんとだったら奈良より前にそこを調べてなきゃおかしいぐらいだ

449 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 17:53:17.92 ID:nGZ23NP+0
>>445
じゃあここに来るなよ
邪馬台国は魏志倭人伝にしかでてこないんだから お前関係ないだろ

450 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:53:37.10 ID:9pI6HrbN0
>>1
「硯の欠片が出たから九州に邪馬台国」っていったいどういう推論かがよくわからない
南九州だって畿内だって大陸との交流はあったわけで
単に北九州に大陸とのつきあいのある大きな豪族がいたっていう証拠にすぎないわ

451 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:53:41.53 ID:3QcUVRU50
>>426
サルタは沖縄のサダルから来ているのかもしれなくて
ヒルコもその方面の神話の英雄の基底を持つように思えて
おもしろい

452 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:53:58.56 ID:Sd1C8Uv90
http://www.kyushu-sanpo.jp/kanko/saga/yoshinogari-c/yoshinogari0449a.jpg
http://www.kyuhaku.jp/exhibition/images/s_17/c04-l.jpg
https://lh3.googleusercontent.com/proxy/a8I6m0db1B-z-iH64nUA7OxYQTGvG-9g_qhAZMevfo5xXTJC3SJtAXfj6QQXzjSph5Ulz1-h

http://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s17.html
http://blog.goo.ne.jp/nambashout/e/7b76b656691f04f9be0ba7793a06c029
http://blog-imgs-49.fc2.com/k/a/m/kamakurajun/blog_import_4f8a36ee00030.jpg

http://www.geocities.jp/waikoku/skamekan.jpg
http://www.netpia.jp/history/map-fukusohin237.gif
https://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/kyushu/kamekan3.jpg
http://www.city.uto.kumamoto.jp/museum/photo/pro/kodai/mukounodakofunsyutudo2_b.jpg






.

453 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:54:15.33 ID:DjyLR3U70
だって日本国内でも神話でぼかしてるような場所を
遠く離れた中国の役人が、九州北部なんてローカルでピンポイントな場所を精緻に記録してんだぜ
どっちを重視するのよ

454 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:54:24.81 ID:qRvSwVNB0
血統偽装書臭が漂うんだよな民俗学的描写地理工程
意図的に南方向に誘導しようとしてる。

455 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:55:57.61 ID:iePAg8iE0
>>453
だから伊都が北部九州にあって、邪馬台国は
遠方の土地とあるから内容的には畿内説で何の問題もないだろw

456 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:56:43.18 ID:DjyLR3U70
>>455
そんな遠方から占いで統治するなんてありえんから無い

457 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:58:31.17 ID:se2KzcjL0
>>437
倭人伝には記紀における同時代の皇室王室のメンバーがそろっている。西暦200年前後
邪馬台国
トップは伊支馬(いきま)  → 第11代垂仁天皇 「伊久米入日子伊佐知命」
次席は弥馬升(みます)   → 垂仁天皇后 「氷羽州比賣命」
三席は弥馬獲支(みまかし) → 皇太子 大帶日子命、後の第12代景行天皇妃 「美波迦斯毘賣命」

三席は 弥馬獲支
(みまかき)  なら  「御間城姫」 崇神天皇の皇后
(みばかし) なら  「美波迦斯毘賣命」 皇太子大帶日子命、後の第12代景行天皇妃 

四席は奴佳醍(ぬはだい)  → 垂仁天皇妃 「沼羽田入毘賣命」

いずれにせよ崇神、垂仁、景行天皇の範囲に収まる。

458 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:58:36.98 ID:1Pu88WL60
バイト先のファミレスの30分休憩で
俺「……」
女「……」
俺「……」
女「何かおもしろい話をしてよ」
俺「何でもいいの」
女「いいよ」
俺「じゃあ、邪馬台国の話」
女「それは無理」
俺「しねよ」

459 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:58:38.80 ID:iePAg8iE0
>>456
現に神獣鏡やら水銀朱やら当時の祭祀具が集中して出てるのだから仕方ない。

460 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:58:40.64 ID:nUh1hGHy0
>>450
見出しが大げさなだけで記事の中でも邪馬台国が九州だとは誰も言ってないな
伊都国が重要な地だってのは九州説でも畿内説でも変わらないから
今回の発見でどちらが有利になるもんでもない

461 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 17:59:09.58 ID:DjyLR3U70
奈良から防人とか大宰府を統治してたとかいうけど、
もうそのころは文字もあり律令もある時代だからな
卑弥呼は文字もないし、占いで統治してんだから
奈良からどうやって九州北部を統制するのか具体的なプロセスを言ってみろよ

462 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:00:01.65 ID:Sd1C8Uv90
>>453


九州北部なんてローカルでピンポイントな場所 ()





この一言でお前が古代史を全く知らない事が分る

伊都国や日本最古の古代王朝があった九州北部 西日本に勢力があった倭国。近畿大和政権朝廷なんか
九州から東進した古代天皇家が造ったんだぞ?
明治維新東京遷都も九州・四国勢力

http://potato.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1456889571/27

463 :名無しさん@1周年 転載ダメ©2ch.net:2016/03/06(日) 18:00:11.80 ID:xLL4+YC5O
>>437
奴国を金印が後に見付かった位置に無理矢理合わせたら
「あれ?これ、畿内向かってね?」ってなって
万世一系で鍛えられた奴等には
少々の矛盾があっても畿内にあることが確定事項に
万世一系教の教義に則れば過去であっても
他に目立った勢力が居てはならならい
その為の紀記当時の辻褄合わせが東征だろうに
(このときは宗教でもなく政治的判断だからまだ論理性はある)
それも無視すっからおかしな事に

464 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:01:01.42 ID:DjyLR3U70
>>459
逆に中国と離れてたから、そんなん必死に集めただけだろな
中国とマブならそんなものとっくに希少性を失うわけだ

465 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:01:04.86 ID:FRq1bgk50
>>461
硯があるんだから文字もあるでしょ(´・ω・`)

466 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:01:16.64 ID:rD0esUx9O
>>456
江戸城に居住して日本を統治してた徳川綱吉と生類憐みの令の悪口を言ってんのか?

467 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:01:42.94 ID:DjyLR3U70
>>452
それがまさに奈良大和王朝のねつ造の歴史なわけだね

468 :三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2016/03/06(日) 18:02:21.94 ID:IKFHM3sT0
>>442
纏向等の遺跡から出てくるものは記紀とそう矛盾しないよ。
古代の天皇が長寿すぎるって点以外はね。

魏志倭人伝はそれを補完できる遺跡がほとんどない。特に九州説は。

469 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:02:51.46 ID:DjyLR3U70
>>465
使ってたのは中国の楽浪郡から来た役人だけだろ
卑弥呼らは木の刻みとヒモで通信してたってよ
奈良からそんなもんで九州統制とかおもしろー

470 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:03:18.19 ID:qRvSwVNB0
>>456
祭祀国家だぜ距離と場所は関係無い宗教的権威がしっかりしてれば
場所の聖域性は必要かもだが

471 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:03:36.14 ID:609qVFFv0
>>420
信州のほぼ中央に位置する諏訪湖
御神渡りの神儀と7年に一度の奇祭「おんばしら」
で有名な諏訪大社は
出雲を譲り渡してこの地に引っ越してきた
出雲族が建てたものだといわれている。

ここだけの話だが
信州でも諏訪人は排他的で自尊傾向が強い。

名だたる出雲族の末裔という意識と
系統の異なる部族に囲まれて
孤高を貫かざるを得なかった歴史を
示しているのかもしれない。

472 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:03:55.22 ID:DjyLR3U70
>>468
ちゃんと調べてないからだろ
中国との外交の最重要地点でいま発見じゃん

473 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:04:08.11 ID:G0VSziQb0
>>430
そういうことですね。
近畿説は学問じゃ無くて宗教だから。

474 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:04:55.23 ID:iePAg8iE0
>>461
何らかの合図だけなら鏡で反射、もしくは狼煙が一番早いだろう。
大気が綺麗で視力があるなら結構伝わるよ。
奈良の明神山は実際江戸時代は米相場の伝達で
大和となにわの相場を伝えている。
またこの山はヒルメ山、天照大神の名がついてるぞ。

475 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:05:01.77 ID:G0VSziQb0
>>443
この当時の近畿と九州の人口は同じ位wwwwwwww












 

476 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:05:09.89 ID:9pI6HrbN0
>>1
>>460
だからさ、今回の発見は伊都国は北九州(糸島)にあったという証拠だよね
それ自体は、いろいろな学者が今まで推論してきたことの裏付けで
邪馬台国がどこにあったかという話とはあまり関係がない

477 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:05:23.93 ID:toVoJur20
伊都には伊都国王がおるやろ

478 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:05:35.30 ID:DjyLR3U70
>>470
占いの結果がとどくのがめっちゃ遅いからない
日照りですどうしましょう→一か月後ああだこうだ
洪水ですどうしよう→一か月後ああだこうだ

こんな女王は無理

479 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:05:41.92 ID:G0VSziQb0
>>468
全然矛盾だらけだよ。

480 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:06:02.52 ID:1TVSSsEDO
>>443
律令制も始まっていない時代の伝聞の人口を信じるバカがまだ居たのか

481 :三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2016/03/06(日) 18:06:20.13 ID:IKFHM3sT0
>>449
記紀の記述のどこが邪馬台国に相当するのか、とか非常に興味深いじゃないか。
最新の考古学成果との整合性もな。
そういうものと相互補完することで古代の文献の研究は深まるもので
文献だけ見てても真相なんぞわからん。
文献を書いた人間自身が勘違いしている可能性だってあるのだからな。

482 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:07:16.84 ID:DjyLR3U70
>>474
江戸時代と2000年前を同列に考えても意味ないでしょ
まだろくな道も整備されてない
中間地点のやつどうやって生きてるの?

483 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:08:04.96 ID:iePAg8iE0
>>464
無知すぎだろ。失うどころか4世紀は道教興隆の時代だぞ、
錬丹術、水銀朱の需要が高くなるw

484 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:08:14.66 ID:1TVSSsEDO
>>459
未だに偽鏡を寄りどころにしているバカが居たのか

485 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:08:25.10 ID:vNE9gTDc0
邪馬台国の起源は韓国

486 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:08:30.25 ID:G0VSziQb0
>>431
恐らくこっちも邪馬台国近畿連合だったと思われ。

487 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:08:35.53 ID:zhE+uwNU0
>>403
あのさ
当時は移動も通信もまともには出来ない時代なの
誰かを雇って兵隊付けて何処かを支配させたら、もうそれは別の国なの
雇った事にはならんのよ

また、雇う意味もない
記紀を読んでも血統がどうなんて話はないんだよ、敵地に行ったら
実力でやるしかない
源平の始祖が天皇家なんてのも、全国が一旦統一されたから権威が出たんでそうしたわけで
あんな古代にそんな権威自体ないし無意味

488 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:08:48.72 ID:G0VSziQb0
>>485
違う。山門。

489 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:09:57.11 ID:DjyLR3U70
>>483
九州ではでかい古墳も流行らなかった
なぜなら先に文明化したから
それだけのことだろ
なんで九州をスルーして奈良から始まるんだ
不自然じゃないか
糸島に居るのに

490 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:10:21.57 ID:qRvSwVNB0
>>478
あのな地場には地場のローカルな小卑弥呼が居るのよ。

491 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:10:54.99 ID:zhE+uwNU0
>>408
市なんで日本中にありましたが?
なんで、畿内説信者はバカばかりなの?

492 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:11:37.33 ID:DjyLR3U70
>>490
じゃあ小卑弥呼と卑弥呼の関係性がなければ、成り立たないね
奈良と九州の巫女どうしがどうやって関係結ぶの?
むしろ卑弥呼はヒッキ―っぽいじゃん

493 :三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2016/03/06(日) 18:11:39.73 ID:IKFHM3sT0
>>479
そうかい?
纏向遺跡の発見で祟神天皇まで遡れそうだし
稲荷山古墳の鉄剣に彫られた文から四道将軍の実在も言えそうだし
逆に記紀を否定する発見というものはあまりないし。
具体例を挙げて否定しないと説得力ないよ。

494 :名無しさん@1周年 転載ダメ©2ch.net:2016/03/06(日) 18:12:11.27 ID:xLL4+YC5O
後、異常なまでも戦前否定も宗教だわな
卑弥呼=神功皇后ならまだ
九州でありつつ紀記とも一致すんのに

495 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:12:26.71 ID:se2KzcjL0
>>487
妄想してないで倭人伝読んでから書き込んだほうがいい

496 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:12:33.58 ID:G0VSziQb0
>>478
そういうことですね。

497 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:13:07.20 ID:hdroakdG0
>>474
> 何らかの合図だけなら鏡で反射、もしくは狼煙が一番早いだろう。
長距離に光を反射できる鏡が当時あったんだ。すごいなw

498 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:13:44.39 ID:1TVSSsEDO
>>494
畿内説ありきの妄想を押しつけられてもな

499 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:13:50.48 ID:zhE+uwNU0
>>418
上陸後に水行したとは限らないんだよね
航海の記述がないから
あと、川かもね
海なら書くだろう

500 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:13:58.56 ID:rD0esUx9O
>>478
時代が下っても、実際に飢饉は多かったし餓死者も出てただろ。
で、どの道飢饉発生後にしか対処出来んのなら政府と飢饉発生地が近かろうが遠かろうが変わらんよ。

大体、飢饉発生と同時に食糧の全てが消滅する訳じゃないしな。
何故なら、狩猟採集ではなく穀物栽培を本業とする農耕民族なのだから。

501 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:14:20.34 ID:hdroakdG0
>>478
往復だから二ヶ月じゃね?

502 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:14:28.13 ID:bHCGdti10
暇な時はこれを見ている
【サッカー】リオ五輪日韓戦、大逆転勝利までの2ちゃん実況スレwwwwwww
http://newstopic.pw/45

503 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:14:48.62 ID:G0VSziQb0
>>444
近畿説は煽りじゃなくてゴットハンドレベルだよ。
もう捏造と言っていいレベル。
ただの恥知らず。

504 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:14:59.72 ID:se2KzcjL0
>>430
妄想してないで倭人伝読んでから書き込んだほうがいい

505 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:15:27.71 ID:aUbJSL2Q0
>>462
横から失礼

その日本自体が、当時の中国からみれば近隣にある沢山の国の1つに過ぎないんだが。
ほとんど記録すらされてない程度のちっぽけな存在。

506 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:15:55.32 ID:zhE+uwNU0
>>420
それは面白い指摘だね
近畿が特殊だったのはなんとなく分かる
最終的にはそこから支配したんだろうけど
あるいは征服されたあとに

507 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:16:29.31 ID:1TVSSsEDO
>>504
倭人伝読んで畿内はないと確証してますが
妄想してるのはあんただろ

508 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:16:48.75 ID:iePAg8iE0
>>484
画分帯神獣鏡が?初耳だなw

509 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:17:03.58 ID:9pI6HrbN0
>>494
そうだね

510 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:17:46.14 ID:se2KzcjL0
>>507
根拠は?

511 :名無しさん@1周年 転載ダメ©2ch.net:2016/03/06(日) 18:18:05.16 ID:xLL4+YC5O
>>498
寧ろ俺は九州別勢力派だよ
でもどうしても大和朝廷じゃなきゃ気が済まないなら
それぐらい出してこいよって話
畿内に行くのは本当に無理ありすぎ

512 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:18:28.05 ID:34CmA6Jg0
日本における邪馬台国への言及は、『日本書紀』卷第九神功皇后摂政三九年、四十年および四十三年の注に「魏志倭人伝」から引用があり、
神功皇后と卑弥呼を同一人物と見なした記述となっていることが嚆矢である。

古くは邪馬台国は大和の音訳として無条件に受け容れられており、この論争が始まったのは江戸時代後期である。
新井白石が「古史通或問」において大和国説を説き、「外国之事調書」では筑後国山門郡説を説いた。
その後、国学者の本居宣長は卑弥呼は神功皇后、邪馬台国は大和国としながらも
「日本の天皇が中国に朝貢した歴史などあってはならない」という立場から「馭戎概言」において、九州熊襲による偽僭説を提唱した。

大和朝廷(邪馬台国)とはまったく別でつながることはない王国を想定し、
筑紫(九州)にあった小国で神功皇后(卑弥呼)の名を騙った熊襲の女酋長であるとするものである。

これ以来、政治的意図やナショナリズムを絡めながら、学界はもちろん在野研究者を巻き込んだ論争が現在も続いている。
この論争は、すなわち、正史としての『日本書紀』の記述の信頼性や天皇制の起源に影響するものである。

513 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:18:29.02 ID:3QcUVRU50
邪馬台国の戸数七万余戸や投馬国の五万余戸や対馬国からの
戸数の計が三万余戸などは、奇数を用いた中国観念上の戸数で
実際の戸数ではないと思えておもしろい

514 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:18:56.31 ID:hdroakdG0
>>500
当時でいう「政府」の存在が無意味であるっていう主張にシフトですか?
何もしない連絡しないところに従う必要もないよねw

515 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:19:27.91 ID:toVoJur20
九州に博多周辺より大きな国は無さそうなわけで
この時点で九州説はダメだろ

516 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:20:28.65 ID:iePAg8iE0
>>491
じゃ、弥生時代の遺跡や古墳のある、大市という場所を教えてほしいな。
奈良盆地、山の辺道以上に古い場所を探すのは大変だぞw

517 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:21:10.95 ID:9pI6HrbN0
>>489
おいおい、宮崎には西都原古墳群つー
日本最大級の古墳群があって
女狭穂塚、男狭穂塚っていう巨大なもんも作られたわけだが・・・
おまえの脳内で歴史作っちゃいかんよね

518 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:21:13.66 ID:1TVSSsEDO
>>510
使者が九州から出ていないのは明白
奈良が首都ならそこまでいくが記載が伝聞でしかない
つまり九州に女王国があったわけだ

519 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:21:28.14 ID:4NEoY4rk0
>>457
評価できるし、おもしろいけど名前が同じとか意味無くネ?

天皇や皇后が地方官僚なの?
昭和に昭あきらが流行ったりでしょ?

日本語知らない魏の役人が外交記録として
日本語知らない上司に報告用に地方官僚の名前聞いて記録したもんだよ。

記紀は字の無い時代の名を当て字にしてるし、日本側の当て字も当てにならない
卑弥呼が火神子なら名前じゃない。

中国人、日本の天皇にも勝手に讃だの武だの名前付けるし。

520 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:21:54.32 ID:G0VSziQb0
>>513
間違い。駢儷文ってのはそういうもの。
実際に七万戸だったと思われ。

邪馬台国は九州上半分の大部分と山陰だから七万戸は余裕。












 

521 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:22:37.10 ID:zhE+uwNU0
>>445
当時の記録はそれしかないし
対馬や壱岐の記述とか正確だし
半島から九州までの里程も実情に即してるし、疑う理由がない

動植物のことまで書いてて矛盾は見つかってない
真実見た通りに書いたんだろ

522 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:22:47.32 ID:9pI6HrbN0
>>518
推論と結論のあいだに飛躍がありすぎだな
それは学問ではない

523 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:22:53.00 ID:G0VSziQb0
>>517
それいっこいっこがデカイんちゃうw

524 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:23:54.40 ID:G0VSziQb0
>>520
邪馬台国ってか女王国ね。

525 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:24:53.64 ID:yvUEoUJO0
銅鐸の流行を追うのも面白そうだよな
紀元前には北九州で小型のものがつくられ、出雲で大型化し、近畿で大流行した後
古墳時代に突如消滅する

おそらくそこで大和朝廷が成立したんだろうな

526 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:25:30.32 ID:rD0esUx9O
>>514
ん?誰も政府の存在そのものまでをも無意味とは言ってないけど?
政府から飢饉発生地までの距離の話なんだけど?

そちらこそ、畿内が政治の中心であった事が確定してる時代においても占いや祈祷によって政策が決定される事があった事は「タブー」なのかなぁ?w

527 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:25:50.92 ID:1TVSSsEDO
>>522
当然の帰結を屁理屈で返されてもな

528 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:26:01.21 ID:iePAg8iE0
>>520
奴国二万に投馬国五万を消すなよww
吉野ヶ里でどんなに多くても千戸もないんだからな。
ああいう集落が何か所必要か理解しろよ。
おまけに魏略じゃ伊都一万戸だw

529 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:26:51.02 ID:G0VSziQb0
 


七万戸が多過ぎってヤツは



女王国に山陰いれて無いだろが。







 

530 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:27:40.41 ID:G0VSziQb0
>>528
投馬国は西都原の妻。
九州の下半分。

531 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:27:43.67 ID:7TO4df6BO
この話題オマエラ好きだよな。
何気に毎回スレが伸びてるよな

532 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:28:44.96 ID:1TVSSsEDO
>>528
まだ律令制も戸籍もない時代の使者が伝え聞いた伝聞を根拠にするバカが居たのか

なお言うなら軍事的に重要な人口を少なく言うわけが無いだろ
俺が通訳なら少なくとも10倍は盛るだろうな

533 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:29:01.54 ID:yvUEoUJO0
勾玉、銅鐸、鏡 この辺の流通をセットで時代ごと、地域ごとに整理して年表にした資料ってどっかにない?

534 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:30:16.78 ID:se2KzcjL0
>>404
「孁」という難しい漢字について、岩波文庫本の校注に、「『孁』は、巫女(みこ)の意で用いた文字であろう。
靈(れい)の巫を女に改め、孁とすることによって女巫であることを、書紀の筆者が意味的に示そうとしたものと思われる」とある。
 そうであれば、@「孁」という語は『書紀』の造語で、A「(日)孁」の意味するところは「(ヒ)ミコ」である、ということになる。 
さて、大日孁貴をどう読むか。実は、それは『書紀』自身がその割注で「於保比屢灯\武智(おほひるめのむち)」と訓じている。
その場合、「日」は、「比」あるいは夜の反対語としての「比屢(ひる)」のどちらにも読みうるが、
「孁」は「屢(るめ)」とも「(め)」とも読めないので、『書紀』がなぜ「日孁」と書いて「比屢刀vと訓じたのかという謎が浮上する。
 すなわち「日孁」の中に「(め)」と読める部分がどこにもなく、
「孁」という文字を上下に分離して始めてその脚「女」が「(め)」と読めるのである。 
 これは、「孁」という字を冠と脚に分解せよという『書紀』からの暗号と思われる。
それを証するかのように、『書紀』は念には念を入れて、「孁」の音(読み)は「力」と「丁」の反(かえし)、
すなわち「Lei」(=れい)であるとわざわざ注している。
(注 反とは反切(はんせつ)の法則(難しい漢字の音を他の簡単な漢字二字を借りて示す標音法)で、
具体的に「孁」に適用すると、それは「力=Liki」の頭子音(L)と「丁=Tei」の頭子音以外の部分(ei)を合体した、「Lei」、
すなわち「れい」となる)
 これは、この造語「孁」の元字が「靈」(霊はこの字の新字体)であることを意味する。
先の校注はそれを気付いた上での校注か否かは知るよしもないが、「靈の巫を女に改め、孁とすることによって女巫であることを示した」
とする見解はまさに正鵠を射たものと言ってよかろう。
 すると『書紀』は、大日孁貴四文字を表向きは「於保比屢灯\武智」と訓じてはいるが、「孁の読みに注(力丁の反)を入れることによって、
この四文字がヒミコであること、そしてその別名をアマテラスとすることによって、
ここに、ヒミコをアマテラスに仮託したことを見事に宣言しているのである。

535 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:30:40.21 ID:3QcUVRU50
>>491
藤原京より大規模で後世の都市をこえる造営を伴う(大)市は
全国でもほとんどないと記憶するんですが
伊勢遺跡や妻木晩田遺跡が市をともなっていれば匹敵するかも
しれないよ

536 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:30:54.07 ID:zhE+uwNU0
>>450
そう
そこに王権があった
畿内にも関東にも東北にもあった
その認識が大事
畿内説のバカは畿内だけにあったとしか考えられないバカ

当時西日本を統一する権力があったわけがない
東北なんて鎌倉辺りでやっとだ

後漢の時代で百余国だ
その百年かそこら後に統一されるわけがない
また、畿内は当時の中心国の魏から遠すぎ
普通に倭人伝を読めば九州以外にない
特に北九州だ

537 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:30:57.95 ID:wDIvtLXdO
>>420
勾玉かどうかは知らないけど、翡翠みたいな綺麗な石は、中国大陸のほうでも 一部見つかったりしてるんじゃなかったかな?
派閥グループみたいに日本と大陸を旅する流民が、往来していた可能性とかないかな?

538 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:30:58.64 ID:hdroakdG0
>>526
ん?何が起きても何もできないんでしょ?政府の存在そのものが無意味と言ってるのと同じ。
遠い地域の人に支配される理由もなくなるしできない。お前が書いてるのはそういうこと。

539 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:31:54.26 ID:19Dk/NPb0
>>521
「途中から記述が大混乱に陥っていた」のなら、それを素直に認めるのが常識じゃないの?
「ここから先はうそでーす(笑)」ということだと、素直に認める。それが学問的に誠実な態度。
なぜウソになってしまったかを、テクスト分析することは重要だが、
とにかく「ここから先が嘘であること」を認めないことには、先に進めない。
戦後、水戸学の幻想から逃れて、これができるようになってから、記紀の読解は飛躍的にまともになった。

俺も、前スレから結構しつこく書いてるけど、
日本人の「邪馬台国ファン(嘲笑)」は、この素直な見切りが出来ない。
ほんと、どいつもこいつも愚鈍すぎる。
>>445は、正論中の正論だと思うぞw

540 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:32:04.48 ID:3QcUVRU50
>>534
「ヒミコをアマテラスに仮託したことを見事に宣言」

その通りですよ

541 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:32:33.37 ID:zhE+uwNU0
>>455
遠方なんてどこに書いてあるんだ、この畿内説の池沼が

542 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:32:40.68 ID:oRjwiMdF0
中国からの土器くらい出るさ
中国のいんちき小説だよ
全部幻
日本の歴史には邪馬台国なんてない

543 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:33:55.75 ID:zhE+uwNU0
>>457
また、そんな言葉あて遊びw
日本語なんだから似たようなのはあるんだよ、バカ

544 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:37:09.92 ID:wznx/Cfq0
畿内に行くのに、陸行1月もかからわけがない。
そもそも、末盧国で船を降りない。

545 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:37:27.36 ID:3QcUVRU50
>>525
おそらくそこで北九州の要素も含んだプレ大和朝廷が
成立したんだろうと思える

546 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:38:11.92 ID:toVoJur20
何世紀も後に書かれたものより
同時代に書かれたものの方が信頼性高いよな

547 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:38:20.85 ID:wDIvtLXdO
銅鐸、古墳、大和朝廷がわからない…
近畿地方、特に大阪は 古墳だらけだったから、古墳をつぶして その上に 学校やら家やら建ってる 古墳の一部だった盛り土なんかは 電鉄の下にひく土台に使われたりしてる。オマイラ知らんべ?
大阪は、奈良や京都と違って狭いから。
このややこしく難儀な、古史を抱える難問をどうにかしてくれオマイラ。賢くないと無理なんだよ

548 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:39:19.10 ID:h6W62R3V0
ああ今日は弥生人苛め居ないのねよかった

549 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:39:31.11 ID:zhE+uwNU0
>>495
妄想してるのはお前だろw
どこに雇われ店長見たいな記述があるんだよw
ほんとにネタじゃないのw

今までに見た中で一番馬鹿げてる説だw
ま、一番笑えるから許すw

畿内説を信じてるバカは処置なしだけど

550 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:40:07.46 ID:rD0esUx9O
>>538
占いや祈祷だけが政治の仕事とか本気で思ってるお馬鹿さんかな?

占いや祈祷は政権の神格化や正当性をアピールする手段であって、実際には堤防を築いたり新規で棚田等を開拓する様な「物理的」な結果が必要でしょ?w
実際、飢饉発生時に免税した天皇の話もある様に、後の対応やら物理的な結果が重要なのよ。それが「政治」なの。

占いや祈祷のみの「単なる宗教」で、国家を樹立したり永年存続出来たりとかしないってw

551 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:40:08.57 ID:4NEoY4rk0
>>512
素晴らしい。 
これは真実語る勇気ある発言。
古事記は神話過ぎて文学。 日本書紀は正史だが神話に寄る。
この文章誰ですか? 
2ちゃんオリジナルwww

552 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:41:18.53 ID:pR+1No8O0
もう、邪馬台国は二つあって卑弥呼も二人居たってことでええやん

553 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:41:52.76 ID:iePAg8iE0
>>530
高句麗で何万戸か位しってるよな?
日本列島より半島の方がずっと平野は多いんだぞ。
倭人伝を正確とみるなら二万戸でも北部九州埋まってしまう位だ。

554 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:41:58.40 ID:LdJ0vr3y0
>>544
その通りだ
帯方郡から来た中国の船は末盧国で一行を降ろしたら
そのまま帰って行ったと思われる

555 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:42:39.10 ID:G0VSziQb0
>>549

>>6でオケ

556 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:42:50.65 ID:19Dk/NPb0
いくら同時代だから信頼性ガーといっても、「地理が出鱈目な地理書」は、当然全く信頼に値しない。
いくら状況証拠がそれっぽくても、決定的なアリバイがあれば、有罪認定はできない。
「地理が出鱈目な地理書」って、一体何物なんだ?そういうことだ。

おまえら、そろそろ目を覚ませよ。倭人伝は、少なくとも伊都国より先は「嘘」。
これを認めるところから、魏志のまともな解釈が始まる。
(伊都国より前も嘘、という発想法も、もちろん成立するw)

557 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:43:30.05 ID:wznx/Cfq0
大和朝廷が東遷したなら、九州の土蜘蛛を征伐してないべ。

土蜘蛛は女酋長、兄弟が兵を集めだが、女酋長を殺したら戦うことを諦めたりしている。
このように女が権威として祭り上げられているのは、非常に倭国に似ている。

大和朝廷は、銅鐸文明を滅ぼした征服者だが、倭国が東遷したわけではない。

558 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:44:26.41 ID:o15mMFfT0
当時、渡来人が侵入し難かった筑豊盆地内に南方系(スンダランド系)小国家の拠点が
あったんじゃないかな。もう推論でしか語れない神話の世界。すずりだの土器だの出て
きても、実証断定するには何もかもが足りない。キーは「女系」って事くらいかな。

559 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:44:34.86 ID:G0VSziQb0
>>525
近畿側が神武を招き入れて征服話しを捏造するため自ら破壊したと思われ。

神武は雇われ店長。











 

560 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:44:48.09 ID:Bx//En3j0
正史においても当時の方角や距離はデタラメなのか

561 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:45:51.36 ID:G0VSziQb0
>>560
いや全然。魏志倭人伝は驚くほど正確。
さすが天才陳寿と言うべき。

562 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:45:55.36 ID:iePAg8iE0
>>549
今更畿内説以外の主張してる方がよほどのバカだぞw

563 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:47:17.52 ID:AfDCFhL40
>>371
確証もないのにまとまってる方が胡散臭いだろう

564 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:47:53.93 ID:iePAg8iE0
>>561
じゃ、戸数も日数も間違えてないんだろw

565 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:49:12.46 ID:9YLHuW9j0
方角がデタラメというのなら
その納得のゆく説明が必要(立証とまでは行かなくても)
いきなり方角間違い前提で議論はダメ

566 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:49:35.55 ID:hdroakdG0
>>550
> 占いや祈祷は政権の神格化や正当性をアピールする手段であって、実際には堤防を築いたり新規で棚田等を開拓する様な「物理的」な結果が必要でしょ?w
ああ、奈良から堤防作ったり開拓する部隊が遠征してきて作ってくれてたんだ。
えっ?実際に作るのは現地の人すかw

567 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:49:43.40 ID:LdJ0vr3y0
>>558
倭人は北九州沿岸と朝鮮半島南岸と対馬・壱岐・五島列島にいた

568 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:51:08.10 ID:wznx/Cfq0
>>108
今回、非常に説得力のある工程地図が出た。

569 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:51:26.36 ID:LdJ0vr3y0
魏志倭人伝の記述によれば邪馬台国は伊都国から五百里くらいのところにあった

久留米付近だな

570 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:52:52.49 ID:toVoJur20
それまでの倭国の伝聞は九州のものだったから
南の方の国の風俗だと思ったのだろ
実際は大和だったと

571 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:52:54.43 ID:9YLHuW9j0
奈良のようなシケタとこが都だった
と言われても正直なんだかなあ
福岡なら納得できる

572 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:53:37.79 ID:LdJ0vr3y0
>>571
アホか
日本史を習ってないのか

573 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:54:04.96 ID:YcBpqQ9H0
現代ですらタリバンやISISのように突然現れたカリスマ的指導者に在地勢力が次々と服従することはある。
邪馬台国が四国あたりの寒村でも全然不思議は無い。

574 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:54:13.21 ID:iePAg8iE0
>>565
伊都が糸島なら方角間違えてるだろう。

575 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:54:24.85 ID:3QcUVRU50
>>557
大和朝廷は銅鐸文明を滅ぼした征服者ともいえない
乱→共立→大洪水→乱→大地震→乱→洪水→共立→
を繰り返しているから
征服ではなくて、ただの祭祀神の移行や祭祀器の移行
であってもおかしくない
銅鐸を扱っていた列島の古族の忌部を即位の礼でも他の新興氏族を
抑えて三種神器の祭儀で使用しているので、征服などではなかったと
思えるよ

576 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:54:28.09 ID:ktesx//+0
邪馬台国の「台」は当時の中国読みで「ド」つまりヤマド国。
読みが先にあっての当て字らしい。

つまり九州地方で勢力拡大した後に奈良に遷都して大和国になった説が有力。

577 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:54:58.01 ID:toVoJur20
500里って200キロメートルだろ

578 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:56:45.45 ID:9YLHuW9j0
>>572
いや現在の奈良を見ての率直な感想
古代と現在が結びつかんのよ
福岡だったら結びつくんだが

579 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:56:47.17 ID:4NEoY4rk0
>>553
高句麗は南部朝鮮じゃ無くて
中国にも万里の長城で嫌われた北方蛮族だよ。
百済も新羅もこれと唐の連合でやられた。

投馬は半島南部、邪馬台国は九州北部だ
そもそも行程に里の単位を知らない倭人は
朝鮮半島南部や日本国の人口や戸数なんて知らない。
徴税の概念は大和朝廷の統一400年以降だ。

580 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:57:14.49 ID:o15mMFfT0
>>567 私は「拠点」と言ってるのであって、分布範囲や混血度合いは
様々考えられます。魏志倭人伝に筑豊盆地内の事情が書かれてると
も思えないし。もちろん、推論ですよ。

581 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:58:32.93 ID:AfDCFhL40
>>539
「邪馬壹国」という国名も嘘だし、その女王国が
諸国を支配していたというのも嘘なわけかな

582 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:58:45.65 ID:wDIvtLXdO
>>557
土蜘蛛は 土着系だろさ。 女性が上だったのかは知らないけど
かなり弾圧されたのか、強い術者に、封じられたような痕跡が残ってる感じだわ

583 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 18:59:13.90 ID:ckP82WvH0
顔を赤く塗るとか、もろに九州南部の風習なんだが。

584 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:00:48.90 ID:Sd1C8Uv90
北九州と言っても現在の行区分の北九州では無い件 あそこは明治の初めまで寒村


北部九州と言ったほうが間違えない

585 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:00:56.21 ID:iePAg8iE0
>>578
そりゃ無知としかいいようがない。
シルクロードの終点は何処なんだ?

>>579
根拠のない妄想を言われても困るぞw
そのエリアじゃ気候風土、
も違うし丹山とかもない。

586 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:01:20.21 ID:19Dk/NPb0
>>581
そう。その通り。国家は、版図と人民と政府からなる。
亡命政府ならいざしらず、「ここにある」と示すところに、そもそも陸地が存在せず、
領土がこの地球上で現実に成立しない国の記述なんて、
創作だと考えるほうが自然。

587 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:01:29.11 ID:AfDCFhL40
>>574
伊都国は糸島じゃないんだろう

588 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:02:18.56 ID:ao9UsNoi0
中国から金印返せって言われたらどうしたらいいのかな?
盗まれたまま返ってこない仏像もあるわけだし

589 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:02:48.54 ID:iePAg8iE0
>>583
そんなミイラでもみつかったのか?
遺骨に朱を塗った遺体なら東北地方に
縄文期から存在してるぞw

590 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:03:57.88 ID:AfDCFhL40
>>586
何だそりゃ

591 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:04:01.53 ID:9pI6HrbN0
>>583
隼人だよね
ただ隼人のいた鹿児島・宮崎(日向地方)は3世紀中頃から
畿内とつながりがあったと考えられるんだよね

592 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:05:14.73 ID:1TVSSsEDO
海路は朝鮮半島から島伝いに航海する時の記述は実際島の間が見通せる事からもほぼ正確であることが想定できる
この間の距離の記述を実際の距離と比較すると伊都まではほぼ合っている
だがそれ以降は伝聞のため距離や日数は適当
人口もしかり
使者が九州から出ていないのは明白
首府が畿内ならばそこまで水行するであろう
畿内に邪馬台国はない

593 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:05:52.22 ID:rD0esUx9O
>>566
阿呆過ぎますねぇ〜w

現地の人に作らせるからこそ、占いや祈祷といった「単なる宗教」じゃ通用しないんでしょ。技術的な説得力やら強大な軍事力やら財力がなければねw

で、時代が下って奈良や京都に居住してた天皇も占いや祈祷の結果を政策に反映させてたのは、相変わらず「タブー」かい?w

594 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:06:10.53 ID:ao9UsNoi0
かつて鏡の一族、剣の一族、勾玉の一族が存在し
それらを統一した名残りで三種の神器が誕生したストーリーってどうよ?
本を一冊書けそう

595 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:06:31.48 ID:FRq1bgk50
そろそろ邪馬台国は阿波だと認めて
卑弥呼の墓を探すべきだと思うんだけどな

九州は江戸時代から300年近く探してる
畿内にいたっては舎人親王から
何年経ってると思ってるんだ
1000年以上も探してないものはそこにない

そろそろ阿波だと認めなさい(´・ω・`)

596 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:06:35.28 ID:34CmA6Jg0
>>588
中国の王朝が変わるたびに前王朝の金印は返却する事になってたから、卑弥呼がもらった金印はないというのが通説

597 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:07:19.33 ID:9YLHuW9j0
>>585
シルクロードの終点の話しは邪馬台国よりずっと後の話し
時代をごっちゃにしちゃいかんわ

598 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:11:03.97 ID:ZHQ3mS5U0
国家運営を神頼みでやるほど自然災害が多かった場所というと九州だな

599 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:12:11.66 ID:h6W62R3V0
>>559
雇われというより創業者イザナギ縄文大王の何代目かを連れてきてお飾りにしたんだろ
銅鐸やめたのはやっぱり中国の影響下から抜け出そうみたいな気運のせいだと思う
ツチグモとかそういうのはついてけなくなった旧石器人

600 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:14:41.40 ID:dQiQ3CvK0
異体字や当時の発音に関してみたら、邪馬台は、ヤマトと発音するのが妥当

  

601 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:15:59.91 ID:3QcUVRU50
>>582
>>593
洞窟居をしていた役小角のようなものに対する曲がった蔑視
かもしれませんよ
宮廷や賀茂や葛城の根源神まで同属の立場でありながら
占いや祈祷の術によって手玉に取るような山岳密教というのか
山岳神道というのか、そういうものの強い一群に対する畏れのようなものに
思えて、葛城土神も大田田根子の祖神にあたるその葛城は
天照より力の強かった列島の根源神に記紀の系譜上でつながっていて
おもしろいですね

602 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:16:05.08 ID:BATf89dh0
>>573
>邪馬台国が四国あたりの寒村でも全然不思議は無い。

鮎喰川下流域集落群って知ってる? 邪馬台国時代、西日本で一番の集落群だよ。

「東瀬戸内・東四国説」一択

603 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:18:20.33 ID:+/tGclid0
>>600
教科書に邪馬台国と書くのは仕方ないにしても
教師がヤマタイコクと読むのも良くないよな

604 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:18:23.47 ID:9ZDOMO0b0
蘇我氏はユダヤ人

605 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:19:33.04 ID:FRq1bgk50
>>602
西日本で一番は言い過ぎな気がするけどな
やっぱ奈良の集落郡には勝てないし(´・ω・`)

606 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:19:44.68 ID:Dlw7GWGx0
ヤマタイ国ではなく
ヤマト国だろ
まずそこを直せ

607 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:20:22.32 ID:soUMJJzO0
いい加減答えを出してくれないか

608 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:21:16.36 ID:1TVSSsEDO
>>602
海を隔てた地域に連合が成立している可能性が低い
律令制もない時代邪馬台国連合は陸路でつながっていなければ互いの連帯も成り立たない
ましてや陸地が離れた本州や四国は倭国騒乱の蚊帳の外であろう

邪馬台国連合国家は九州島内一択

609 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:21:48.87 ID:FRq1bgk50
>>607
邪馬台国は阿波です(´・ω・`)

610 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:21:50.32 ID:AfDCFhL40
>>607
焦るなよ
世の中答えのあることなんて滅多にないんだから

611 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:22:19.09 ID:NOPOI93Y0
長く論争の続く邪馬台国機内説vs九州説。以前は吉野ヶ里遺跡や邪馬台国時代の遺跡や
遺物が多数出土する九州説がやや優勢だったしかし09年に邪馬台国有力候補の奈良の
まきむく遺跡で3世紀半ばの大型建造物が見つかり論争は転機を迎えた
卑弥呼の墓との説もある国内最大規模の前方後円墳、箸墓古墳も近くにあり研究者の間で
卑弥呼の宮殿ではないかと期待が高まり畿内説がにわかに活気づいた

宮内庁が箸墓への日本考古学協会等の研究者の立ち入りを許可し初調査が行われのも
関心の高さを表した。発掘調査を担当した研究員は邪馬台国の女王である卑弥呼が
政治機構を持つには大規模な人工集落があったと考えるのが自然でまきむく遺跡の規模は
それに相応しいと語るしかし箸墓古墳を卑弥呼の墓とする科学的物証もまだ存在しない
九州説を主張するある学長はこう反論する邪馬台国は中国、朝鮮半島と交易していたが
九州北部からその交易を裏付ける文物が多数出土するのに畿内からはほとんど出土しない
それに邪馬台国ほどの国なら当時交易の中心だった鉄の流通システムを持っていて
しかるべきなのに鉄の出土例も九州に比べて大幅に少ない

双方一歩も引かない邪馬台国論争。論争に終止符が打たれるかは魏から卑弥呼への贈答品の
封として使われた「封泥」の発見にかかっているという「封泥」とは箱を縛った紐がほどけない
ように上から粘土で固め印を押したもの。公式な贈答品は卑弥呼の前でしか開封されないはず
なので封泥の発見場所こそ卑弥呼のいた場所だといえます
広大なまきむく遺跡の発掘調査は継続中で封泥や何らかの文字資料が出土しないかと期待している
論争はまさしく泥試合の様相を呈している

612 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:23:04.44 ID:zJy3Pk1I0
>>608

関門海峡です
http://www.myyado.com/htlimages/4020008/k_4020008_011.jpg

川の様なもんです

613 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:23:58.07 ID:4NEoY4rk0
>>588
魏王は中国皇帝というより、女王卑弥呼と同様、三国志の一地方の曹操の身内
中国をまとめて王となる為に倭人の力を借りたいため九州豪族に倭王の印を授けた。

戦乱で情報収集力の無い戦国時代の中国の似非皇帝は
日本に起こった大和朝廷の朝鮮征伐にも対抗できず、
倭の五王時代に征夷大将軍に任命したが
日本の大和朝廷は冊封や属国化を認めず唐とは対等の交流とした。

ただし、白村江は戦争であり大和朝廷は朝鮮半島南部を失った。
日本の皇室も認めたくないかもしれないけど、正しい歴史だろ?

で、歴史は繰り返すという諺が生まれたwww
これ、豆な。

614 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:24:01.30 ID:sbonrLLl0
ヤマト音は記紀では人名にしか使われていない。
倭や大和をヤマトと読むように
注釈がつけられるのは平安時代以降。

訓読みとして定着していないことから考えて、
平安期でもかなり遅い時代と思われる。

615 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:24:42.46 ID:G0VSziQb0
>>599
神武は雇われ店長。










 

616 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:24:53.38 ID:9ZDOMO0b0
舒明天皇は百済王族

617 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:25:45.52 ID:1GPTl1DJ0
邪馬台国自体は一瞬で消えた国でしょ
その後の大和朝廷とは関係ないと思うよ

618 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:25:49.03 ID:13axWwQg0
>>582
土蜘蛛は女酋長が多いな
神武天皇も和歌山で2名ばかり女酋長を討伐している
バラバラにして遠く離れた所に分散遺棄するなど相当苛烈な処置
後に皇軍は九州でも土蜘蛛の女数十人を殺戮するなど全く容赦なく
むしろ記録にも残して世間に知らしめている
分散配置して教化を試みた蝦夷と異なり、純粋に絶滅を図る処置だ
隼人(人間)や蝦夷(夷扱いだが人)と違ってこの女酋たちは土「蜘蛛」と人扱いすらしていない

619 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:25:50.19 ID:G0VSziQb0
>>607


>>6














 

620 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:25:54.76 ID:YcBpqQ9H0
>>603
3世紀頃は漢字の音が大きく変化した端境期で、読み方ははっきりしない。
邪馬台国の台は濁っただろうとか、卑弥呼の呼はコではないことくらいしか分からない。
だから慣用音で読むしかない。

621 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:26:42.75 ID:1TVSSsEDO
>>612
関を設ければ遮断できる
律令制も無い時代に九州島内の勢力がはるか遠方の奈良に従う理由がない

622 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:26:54.22 ID:BATf89dh0
>>605
奈良は古墳造営の飯場をあちこち設けたからね。自然と集落が増えたんだろう。
ま、王都としての集落じゃないから問題外。

623 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:27:01.72 ID:G0VSziQb0
>>564
そうだよw

>>520>>529

624 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:27:10.05 ID:609qVFFv0
画面にへばりついてくる化粧品の広告が邪魔なんだが。

625 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:27:12.00 ID:olqlpONt0
卑弥呼は韓国人だって高句麗壁画に書かれてるじゃん

626 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:27:44.03 ID:G0VSziQb0
>>610
あるよ。

>>6













 

627 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:27:47.12 ID:rD0esUx9O
>>608
そうか。
なら、本州や四国よりも距離が遠く荒海を渡らなきゃ往来出来ない壱岐や対馬も当然、邪馬台国による支配の及ばない「蚊帳の外」って事になるな。

628 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:27:55.71 ID:Y5HMAkaA0
>>594
近畿大和なら勾玉より銅鐸だと思うんだけどな。

629 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:28:07.00 ID:Dcy2FdjI0
>>252
>>253
いろいろ邪馬台国の本を見たけど、文献や物証を指して
推察するのはまだマシだとも言えるけど、
拡大解釈しすぎて妄想の域を出ないのが多いこと。

縄文?
九州の南のほうの火山が爆発して噴煙で真っ暗闇になって人口の推移が
関東から東北のほうが多かった時期があったと見たことがあるけど?

630 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:29:02.37 ID:+/tGclid0
今の天皇家と邪馬台国は関係ないだろうね
でも応神天皇以前の古代天皇や
記紀神話に登場する神は無関係て気がしないんだよな

631 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:29:05.41 ID:wDIvtLXdO
沖縄にある島と、皇室も深い関係にあるしなぁ。神事にも伝わってる

九州も九州の周りの島にも 点々と不思議な跡がある それは模様だったり、貝だったりする。それがなぜか四国地方や、近畿にも。不思議で謎だらけ

632 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:30:01.72 ID:zJy3Pk1I0
>>621

律令制のない神功皇后の時代にすでに従ってます

633 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:30:13.38 ID:1TVSSsEDO
>>627
アホなのか?
離島は交易で栄えたり食料調達してるんだよ
邪馬台国連合の一部である事が生命線なわけだ

634 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:32:18.16 ID:1GPTl1DJ0
>>630
あの辺は史書を作るために急いでかき集めてきた民話をつなげただけっぽいしなぁ

635 :名無しさん@1周年 転載ダメ©2ch.net:2016/03/06(日) 19:33:35.44 ID:xLL4+YC5O
>>609
うん、ムーで読んだよ(慈愛に溢れた笑み)

636 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:33:52.60 ID:34CmA6Jg0
邪馬台国=大和国
卑弥呼=神功皇后
と、江戸時代くらいまでは当たり前に言われてたみたいだな
だが卑弥呼が中国に朝貢してるのが分かって切り離したとされる

ソース
『日本書紀』卷第九神功皇后摂政三九年、四十年および四十三年の注に「魏志倭人伝」から引用があり、
神功皇后と卑弥呼を同一人物と見なした記述となっている

その後、国学者の本居宣長は卑弥呼は神功皇后、邪馬台国は大和国としながらも
「日本の天皇が中国に朝貢した歴史などあってはならない」という立場から「馭戎概言」において、九州熊襲による偽僭説を提唱した。

637 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:33:55.93 ID:wDIvtLXdO
>>604
そういや、蘇我氏って、蘇る我って書くよね?
蘇我氏って まさか、死人?

638 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:34:21.45 ID:+/tGclid0
>>620
じゃあ
邪馬台国をヤマタイコクと読むのが仕方ないとしたら
卑弥呼の後継女王となった「台与」の事を
教科書に「とよ」と教えるのはいいの?

639 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:35:42.60 ID:R7Yi9kj/0
記紀の記述が捏造だらけだから
おかしな話になる

640 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:36:16.57 ID:rD0esUx9O
>>633
>海を隔てた地域に連合が成立している可能性が低い
こんなアホなレスをした奴の事か?w
壱岐や対馬が交易ルートになるなら、本州や四国と何らかの交易をしたとしても何ら不思議ではないだろw

時代が下っても、奈良や京都に居住した天皇や貴族も、大陸からの舶来物を重宝した訳だしな。

641 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:37:47.10 ID:FRq1bgk50
>>638
原文は壱与だぞ

そもそもトヨからしておかしい
本来読むならイヨよ(´・ω・`)

642 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:38:11.33 ID:1TVSSsEDO
>>640
で邪馬台国当時の交易品の絹やらが畿内から出てるのか?マヌケ

643 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:38:34.03 ID:4NEoY4rk0
百済は大和朝廷が国替えした九州北部他の倭人国家であり
安曇族同様消えた日本の古代海洋豪族が支援して成立した国。

白村江で滅びて百済の渡来人が日本に帰化は間違い。
帰国を許された が正しい。

歴史は繰り返しますように、南無靖国大神大権現

644 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:40:40.26 ID:5KZdCYl30
畿内説の論拠。その1は、行程と方角が正しいとすると九州には収まらない。
その2は、戸数が正しいとすれば邪馬台国は大国と言ってよいくらいの人口を
持っていたことになり、それを想定させるような遺跡があるのは畿内しかない。
この場合、畿内説は1については倭人伝の記述は信用できないとしながら、
2については記述は信用できると思っているわけだが、2も信用できないと
したら、畿内説の論拠は崩壊することになる。誰かが、高句麗の戸数と比べて
倭人伝の戸数は多過ぎると主張していたが、これがデタラメなら畿内説の最大の
論拠はなくなるだろうな w

645 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:40:55.55 ID:UuD27L28O
>>642
九州には丹山もないじゃないかw

646 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:42:43.66 ID:hdroakdG0
>>593
> 技術的な説得力やら強大な軍事力やら財力がなければねw
連絡だけに往復数ヶ月かかる地域に対して強大な軍事力やら財力やら無理やろって散々言われてますやん。
あ、鏡で連絡とってたと言ってる人いたっけ。どうせならFAX・電話使ってたことにすればいいのにw
お前、後の世でやったことできたことが当時に全部できてたって考えてるんだよね。

647 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:42:46.00 ID:rD0esUx9O
>>642
で邪馬台国と思われる大規模な遺跡やらが九州から出土してるのか?マヌケ

648 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:42:52.25 ID:+/tGclid0
>>634
イザナギ、イザナミ神話も
淡路島の漁民だけのローカル神話をパクッったものらしいし
かき集めた神話の中に邪馬台国と関係の深い神が混ざってても
おかしくないと思う

649 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:43:01.57 ID:m54g/ySt0
奈良とか6世紀くらいまで文字が無かったんんだから邪馬台国とか在った分けが無い。

650 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:43:01.89 ID:f7Asvj8c0
>>637
蘇我て葛城の分家だから渡来じゃないんじゃね
海部氏は秦〜三国あたりの渡来ぽいけと

651 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:43:43.21 ID:o15mMFfT0
邪馬台国と呼ばれているものが支配国家であったか、天皇と関係があったのかは
何とも言えないが、当時交通の便が悪かった(遠賀川を船で登る以外は山越え)
筑豊盆地内に、こんな遺跡があるのはなぜなんだろうか?

http://inoues.net/ruins/tateiwa.html

652 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:44:22.57 ID:wDIvtLXdO
>>595
可能性はあるかもしれないけど
泡と消える。と言う言葉が在るぐらいだし
淡路島には半島があったんだけど、海中に沈んでいるしね
戦艦大和も海に沈んだんだよね

653 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:44:32.53 ID:YcBpqQ9H0
>>638
それも一番優勢な「とよ」を採用するしかない。
もし読みが絞り込めたり「壱」だと分かったりしたら訂正するだけ。

654 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:45:13.51 ID:9YLHuW9j0
>>642
そうなんよね
畿内説はそこが致命傷

655 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:46:06.74 ID:m54g/ySt0
>>647
邪馬壹國は伊都國や奴國のような国邑じゃなくて
複数の国邑の連合体で北部九州全体
大規模な遺跡とか大マヌケw

656 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:46:10.50 ID:4NEoY4rk0
祈祷師である巫女、女王卑弥呼に娘は無い。

王統が相続不能なんだから卑弥呼は大和朝廷の王ではない。
馬鹿でも解るだろ?

子供でも神武から皇統知ってた起源2600年の
大和朝廷はどこのチベットだよ?

卑弥呼は女王であってもダライラマの類だぜ?

657 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:47:50.04 ID:GVU2cq4j0
祖父が邪馬台国の話が大好きで
蔵から本やらノートがめちゃくちゃ出てくるんだが
俺もちょっとは読んでみるか

658 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:48:45.02 ID:rD0esUx9O
>>646
例え古代でも国家は公共事業をやってたって事と、時代が下って奈良や京都に居住する天皇も、占いや祈祷を行なってた事についての説明になってないよぉ〜ん♪

早くその矛盾を解消してみてくれる?w
あ、タブーならタブーと言ってくれてもいいんだよ?w

659 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:49:11.98 ID:f7Asvj8c0
>>656
内親王の可能性あるんじゃない?崇神の伯母は祈祷師だったけど

660 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:50:26.03 ID:om/PJF1O0
まぁ昔から邪馬台国は福岡って言われてるし。
別にいいんじゃね?
小学校でも福岡が有力って習ったし

661 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:51:15.04 ID:Frb5Itp+0
じ・・・邪馬台国

662 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:51:46.23 ID:9YLHuW9j0
>>647
埋葬品とか出土膨大でしょ
九大新キャンパスの遅れの原因とも言われてる

663 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:51:51.23 ID:rD0esUx9O
>>655
そうか。
倭人伝の邪馬台国についての戸数の部分は空想か捏造だったという新説を展開するのか。

斬新だな、おいw

664 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:52:19.84 ID:FRq1bgk50
>>657
読みなさい(´・ω・`)

665 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:55:19.53 ID:m54g/ySt0
>>663
戸数が空想か捏造じゃなくて
7万戸は北部九州に在った国邑の戸数の合計
日本の3世紀遺跡で7万戸なんて永遠に見つからないよw

666 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:56:34.13 ID:rD0esUx9O
>>662
埋葬品だけでは王国存在の論拠にはならんだろ。
大規模集落は何で無いのよ?w

倭人伝って嘘を書いてたの?

667 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:56:42.94 ID:ZQi07HKX0
>>1->>625
全滅だあああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!

668 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:57:07.90 ID:wDIvtLXdO
>>650
葛城て 確か 権力闘争かで負けて 東北 青森へ流された、とゆう記述があったよ? てことは、蘇我氏も青森県に行ったってことなんかな

669 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:57:43.78 ID:1TVSSsEDO
>>647
愚か過ぎる

670 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:57:57.94 ID:4NEoY4rk0
皇室は普通に五穀豊穣、国家安泰を祈る伊勢神道の神だけど
卑弥呼は独身の巫女で霊力が認められなければ失職する阿蘇の火山神だろ?

ダライラマ程の皇統の宗教的正統性の伝承も不可能。
トヨはその辺の子供さらって生贄にされた火神子になれなかった可哀想な子供だろ。
九州は早いうちに大和朝廷の神道と仏教を受け入れて良かったろ?

671 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:58:18.59 ID:uMPqhN+j0
邪馬台国から大和朝廷の間は500年くらい開いているんだろう
そんなに長い間畿内に勢力があったとは思えないし有り得なない

672 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:58:20.87 ID:I7tn577s0
>>655
北部九州全体を指すのは倭国だが?
親魏邪馬台国王ではなく、親魏倭王と書いてあるだろ?

邪馬台国は、複数の国邑の連合体である女王国の都としか書かれていない
すくなくとも、それと宮殿を示すような大規模な三世紀代の遺跡がないこ
ととは関係がない

673 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:59:26.49 ID:9YLHuW9j0
>>666
必要条件な

674 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:59:39.08 ID:5KZdCYl30
邪馬台国は全部でないにしろ神のお告げで政治をやっていた国で、卑弥呼はその
お告げ役だったんだろ。この場合、親族がいないことがそのお告げの信頼度を高める
と考えるのが自然だろう。つまり、卑弥呼は世襲とは無縁の存在なんだから、卑弥呼を
神功皇后に当てはめるって、頭が悪過ぎて話にならないなwww 邪馬台国と皇室を
無理やり結びつけようとする考えがこういうバカげた発想を生むんだよ。

675 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:59:40.30 ID:ao9UsNoi0
伊勢神宮の斎宮や祭主が皇女だったりするのは
案外卑弥呼の時代からの伝統かもしれん
卑弥呼と皇室に血縁関係あるのかはよく分からんが

676 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 19:59:41.88 ID:rD0esUx9O
>>665
矛盾し過ぎだろ。

末盧・伊都・投馬等々でも具体的な戸数を分けて書いてるが、倭人伝中の「それらの合計」なんて記述を出してみ?w

677 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:00:28.00 ID:wDIvtLXdO
>>661
それは言うな! オマイ
空気よめないのか

678 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:00:52.33 ID:GVU2cq4j0
>>664
年代物といっていいレベルだから
学説的や史料も古い部分があるんだろうなと思うと尻込みしてしまう
論争史を追うという意味では面白そうなんだけど

679 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:01:43.20 ID:13axWwQg0
>>668
東征に抵抗したナガスネヒコの弟アビヒコ(安日彦)も東北に逃亡して陸奥安倍氏の元になったと
自称の域は出ないがそういう伝説があるらしいな

680 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:01:59.43 ID:1TVSSsEDO
>>666
根本的にお前がアホだとわかったw

681 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:02:04.39 ID:YkciM6DJ0
>>671
有り得ない理由がききたい。

682 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:02:22.55 ID:rD0esUx9O
>>673
戸数(規模)もなw

683 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:03:12.38 ID:+/tGclid0
>>641
>原文は壱与だぞ

Wikipediaソースで申し訳ないが
魏志倭人伝中では「壹與」
後代の書である『梁書』『北史』では「臺與」と記述されているらしい

ちなみに邪馬台国は
魏志倭人伝では「邪馬壹國」
5世紀に書かれた『後漢書』では「邪馬臺国」
7世紀の『梁書』では「祁馬臺国」


当て字として「台」や「壱」を使用するのは仕方ないとしても
当て字である事も教えるべきだと思いますね

684 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:04:50.36 ID:5KZdCYl30
>>675
卑弥呼は斎宮とは違う。もっと人々の運命を左右するお告げをしていたはずだから。

685 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:04:58.57 ID:wDIvtLXdO
神武天皇は やはり、まさかの雇われ店長なの?

熊野 道案内した 案内人のほうが詳しいのだから 案内人のほうが偉いはずだし〜 どうゆうことなんかなぁ〜? コレ おかしいよね ココ

686 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:07:08.82 ID:Dcy2FdjI0
さて、 伊勢と三輪の神が一体分神とする謡曲 三輪をどう捉えるのかな?

687 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:07:33.53 ID:O+kPO+tW0
自分が論争に興味持った時には今の年代観だったんだが
九州説でイメージする国の発展具合かがお粗末で驚くよ
邪馬台国より以前に漢に使者出せてたとは思えない位狭い。

688 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:08:58.40 ID:m54g/ySt0
>>672
卑弥呼が魏に入朝した時の肩書は倭奴国王
魏が与えた肩書が倭王
卑弥呼が支配してる国の名が邪馬壹國
邪馬壹國は九州の北半分
卑弥呼が住んでた場所は伊都國で邪馬壹國の首都。

689 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:09:01.00 ID:veSuGs7SO
>>1
また神の手かな

690 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:09:03.66 ID:1TVSSsEDO
>>682
>>532

691 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:11:12.85 ID:FRq1bgk50
>>678
史料は古いほど信頼性があるとも言える
新しく見つかったものは修正すればいいだけだし

もしかしたらそのノートに
真実が書かれてるかも知れないし(´・ω・`)

692 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:11:45.56 ID:+/tGclid0
>>668
この動画を見た限りでは
葛城氏は雄略天皇に滅ぼされたらしい
葛城氏の話しは36:00あたりからなので
時間があればぜひ見てください

http://www.dailymotion.com/video/xu057s

693 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:13:25.91 ID:InC8apKQO
ヤマイト国

イト(与)

694 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:13:48.20 ID:YcBpqQ9H0
>>687
半島にさえ渡れればあとは楽浪郡・帯方郡のインフラに乗っかるだけで何とかなったんだと思う

695 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:14:56.71 ID:FRq1bgk50
>>683
魏志倭人伝はリアルタイムで書かれてる
5世紀では信頼性にかける(´・ω・`)

696 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:15:25.44 ID:m54g/ySt0
>>672
「邪馬壹國 女王之所都」
邪馬壹國が女王の都ではなくて
邪馬壹國に女王の都が在る、つまり邪馬壹國が女王の国だとの意味です
邪馬壹國の中に都は別に在り、邪馬壹國の都は伊都國。

697 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:15:35.83 ID:5KZdCYl30
>>687
>九州説でイメージする国の発展具合かがお粗末で驚くよ

  倭人伝では卑弥呼は夫も子もない呪術師で、めったに人前に現れないと書いている。
 こういう人間が神託で人々の運命を左右していたんだから、現代の合理的な感覚で
 卑弥呼をエリザベスみたいな女王と考えるのは間違っている。中国のような世襲カリスマ
 が確立されていた国とは違う。それが出てくるのは日本では大和朝廷からだろう。
 こういう政治形態の違いから考えても邪馬台国は大和朝廷とは無関係の国だったと
 考えるのが正解だろう。

698 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:17:34.90 ID:m54g/ySt0
>>676
説明が長くなるよw

699 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:19:03.76 ID:13axWwQg0
>>692
せっかくだけどしょっぱなから誤り
古事記は陛下に献上したものではないよ
天皇が命じて朝臣と皇族の責任執筆で献上したのが日本書紀
古事記は誰が知らない人が暗記していたと称して勅撰を偽証したのが古事記
なぜなら朝廷側にそんな記録はない

700 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:20:01.55 ID:sny17y6r0
隋書で初めて、大和朝廷と中国の記述がつながる。

>明年、上遣文林郎裴清使於倭國。
>度百濟、行至竹島、南望○羅國、經都斯麻國、迥在大海中。
>又東至一支國、又至竹斯國、又東至秦王國。
>其人同於華夏、以為夷洲、疑不能明也。
>又經十餘國、達於海岸。自竹斯國以東、皆附庸於倭。

翌年、上(天子)は文林郎の裴世清を使者として倭国に派遣した。
百済を渡り、竹島に行き着き、南に○羅国を望み、都斯麻国を経て、遙か大海中に在り。
また東に一支国に至り、また竹斯国に至り、また東に秦王国に至る。
そこの人は華夏(中華)と同じ、以て夷洲となす。疑わしいが解明は不能である。
また十余国を経て、海岸に達した。竹斯国より以東は、いずれも倭に附庸している。


>倭王遣小梭「輩臺、從數百人、設儀仗、鳴鼓角來迎。
>後十日、又遣大禮哥多毗、從二百餘騎郊勞。
既至彼都、

 倭王は小桙フ阿輩臺を遣わし、従者数百人、儀仗を設け、鼓角を鳴らして来迎した。十日後にまた、大禮の哥多毗を遣わし、二百余騎を従えて郊外で慰労した。
 既に彼の都に至り、

この時は畿内に行ってる。
この時、裴世清は、海を渡ってきた船を乗り捨ててはいない。
秦王国から十余国を経た海岸で初めて船を降り、歩行を始めた。
そして、そこは既に都だった。まともな陸行なんてしてない。
奴国にも不弥国にも寄らず、もちろん投馬国にも寄らず。
なにしろ、邪馬台国に行っていない。

「疑不能明也」
裴世清は、日記に、これは古の倭国と違うのではないかと書いている。
それで、隋書に「疑わしいが解明はできない」と書かれた。

畿内に行くのには、海を渡ってきた船で東に行ってる。
魏志倭人伝の倭国とは違う。

701 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:21:11.44 ID:m54g/ySt0
>>697
魏志倭人伝によると卑弥呼は王宮から外出しない
使者は伊都国に常駐し、不彌國までしか来ていない
また使者は卑弥呼と対面している
つまり卑弥呼は伊都国に住んでいたんだ。

702 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:25:41.52 ID:9YLHuW9j0
>>700
> …魏志倭人伝の倭国とは違う。
なるへそ
そう考えればいいわけか

703 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:28:04.26 ID:5KZdCYl30
普通に考えて畿内説って、もうズタボロ状態だと思うよ www

704 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:28:31.72 ID:9YLHuW9j0
>>701
推論力凄い
とてもかなわん

705 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:29:47.77 ID:YY2gA4wz0
日本書紀以前の書物が残ってたらもう少し何か分かるかもしれないのに残念だ。

706 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:30:21.84 ID:KrxG/10h0
3世紀中葉からは、近畿以降での鉄器の出土が北九州を上回るようになるんだよな。
鉄は任那→北九州→近畿のルートに必ずなるので、少なくとも3世紀半ば以前に、
瀬戸内海および北九州の支配権を近畿が握ったことは考古学上、確実。

707 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:32:32.98 ID:m54g/ySt0
>>704
「世有王 皆統屬女王國」これも従来の訳は誤りで
魏の治世には伊都国に王が居た、倭の国々の王は皆、女王国に統属していた。
の意味だな。

708 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:33:08.62 ID:eXfb1NGJ0
仮に親魏倭王の金印が奈良から出土しても奈良が邪馬台国であった
証拠にはならん、理由は北九州にあった邪馬台国が東征して奈良に
移動した時に金印も持って行ったと言う事だからな。逆に九州で金印が
出土すれば邪馬台国は九州にあったと断定出来るのだよ。
要するに金印が出ようが出るまいが邪馬台国は九州以外には無いんだよ。

709 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:34:24.79 ID:m54g/ySt0
>>706
全くのデマだなw
相当追い詰められてるなwww

710 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:34:34.62 ID:DjyLR3U70
奈良大和以前の王朝は朝貢しすぎて衰退したっぽい
奈良って一番中国から遠い
九州、出雲、岡山、そっちのほうが近い
だから倭の五王もそこらのやつでそこも朝貢しすぎて潰れた
一番中国から遠くて朝貢しすぎずに済んだ奈良が天下を獲ったのはそのせいだろう

711 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:35:41.69 ID:m54g/ySt0
>>708
親魏倭王の金印が奈良から出土なんて100%在り得ん話すんなよw

712 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:36:25.52 ID:fZZ8HQLR0
邪馬台国が馬鹿でかい国だったという妄想さえカッコに入れたら九州説に全て治るわけでしょ。

なんで邪馬台国を大国としたいのだろう

713 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:36:33.38 ID:wr+hg80b0
>>14
おーうれしいぞ

714 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:36:48.61 ID:DjyLR3U70
だって金印をもらってるからな
三国志の中国が満足する朝貢を
国っても九州の集落の集まりが献上するんだから
経済は疲弊するに決まってる

715 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:36:56.14 ID:BATf89dh0
阿波の青石を畿内の古墳に使ってるんだけど
同時に、阿波の水銀朱も使ってるはずだよね。

阿波の青石(緑色結晶片岩)の石槨石材搬出状況

西求女塚古墳(兵庫) 五色塚古墳(兵庫) 紫金山古墳(大阪) 茨木将軍山古墳(大阪) 
弁天山C1号墳(大阪)櫛山古墳(河内) 燈籠山古墳(河内)松岳山古墳(奈良)
茶臼塚古墳(奈良) 玉手山7・9号墳(奈良) 貝吹山古墳(奈良) ホケノ山古墳(奈良)

北條芳隆「讃岐型前方後円墳の提唱」(1999大阪大学考古学研究所 記念論集)より

716 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:37:59.89 ID:YcBpqQ9H0
>>706
少なくとも7世紀末以降に地中海およびイラン高原の支配権をイラク・シリアが握ったことは考古学上確実

717 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:38:24.54 ID:sbonrLLl0
>>706

古墳時代以降、畿内での鉄器の
出土量は増えるけど、奈良時代に入るまで、
九州の鉄器の出土量を超えることはないよ。

7世紀の元岡遺跡で製鉄高炉の
大生産工場が出ている。

718 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:38:29.34 ID:DjyLR3U70
奈良は田舎ゆえに中国と関わりが遅れたことが
逆に経済力で優位に立つことになって最終的に天下を取った
これで辻褄合う
その代り、巨大な墳墓を競ったり文化的には野暮ったい

719 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:38:44.13 ID:m54g/ySt0
>>710
朝貢は関係ないだろうが
大陸から遠く朝鮮半島の覇権争いとかに関与せずに
日本の東に発展できたからだろうな
7世紀頃には辺境の大国に成長してたんだろうな。

720 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:41:23.58 ID:9YLHuW9j0
>>707
ID:m54g/ySt0さん
あなたが全訳したのどっかホムペに掲載してないの?
(なかったらこのスレに書き込んでほしいぐらい)

721 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:41:23.50 ID:DjyLR3U70
>>718
関係あるでしょ
楽浪郡の役人が文字も書けない土人の集落に常駐してなにすんの?
物資をせっせと魏に送るんでしょ
魏の大きさと九州北部なんて比べ物にならない
その皇帝が満足するんだから、そらせっせせっせとやってたろうよ
だから疲弊して数百年で歴史から消えた

722 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:42:12.52 ID:BATf89dh0
>>715
畿内は阿波の墓場!!

723 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:42:50.57 ID:KrxG/10h0
>>721
アホなのか?
朝貢は中国の持ち出しだぞ

724 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:43:28.10 ID:DjyLR3U70
>>723
証拠は?

725 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:43:33.03 ID:eXfb1NGJ0
        福岡県  奈良県
人口      約510万 約137万(前回調査よりも五万人減少ww)
政令指定都市数  2     0
空港       2     0
新幹線駅     5     0
国際港      1     0
普通日本の首都になった都市は首都で無くなった後も繁栄をしているが
奈良の凋落は目に余る、福岡は今も元気に発展中だ、奈良県民は
京都や大阪に毎日出稼ぎしているのが現実だ、奈良では食っていく
産業も何も無いの無い無い尽くし。
あんまり奈良を追い詰めん方が良いと思うよ、あそこは過去の栄華に
頼って生きて行くしか道が無い地域なんだぞ、将来が無限に開けている
福岡とは大違いなんだ。武士の情けと言う諺もあるんだから多少は
大目に見てやれよ。

726 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:45:47.12 ID:scDsr0As0
鉄は朝鮮からの輸入

727 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:47:00.86 ID:ao9UsNoi0
古代で国家が衰退するような朝貢ってちょっと考えられない
自分らが食べる分の食料を大量に朝貢してたんなら人口減で国力落ちるだろうが

728 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:47:02.45 ID:KrxG/10h0
>>724
証拠わろたw
朝貢が何なのかを調べてから来い。
高校の世界史やってたら知ってる。

729 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:47:04.47 ID:DjyLR3U70
>>725
127万人が出てくるかどうかもわからない卑弥呼の墓かなんかで食えるわけでもなし
さっさと片付けて次のことせいよ

730 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:47:06.59 ID:uADQS/wO0
>>5
そもそも邪馬台国は大陸にうまく自国をアピールできただけで、当時の日本では大したことない国だった可能性だってあると思う

731 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:48:33.18 ID:m54g/ySt0
>>720
俺が訳したの
>「世有王 皆統屬女王國」これも従来の訳は誤りで
>魏の治世には伊都国に王が居た、倭の国々の王は皆、女王国に統属していた。
>の意味だな。

これ訳すだけでも用例を多数調べたんだよな
そしたら通説の訳が間違ってることに気付いちまったw

732 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:49:12.00 ID:DjyLR3U70
>>728
証拠ないんだね
じゃあ話にならないな
こっちは日本はだいたい倍返しという記録を見て言ってる

733 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:50:17.56 ID:9YLHuW9j0
>>725
ワロタ
力の差ありすぎ

734 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:50:24.81 ID:XffFdOop0
隋書は、前半で昔の倭国の話をして、後半でとつぜん大和朝廷の話になる。

これは疑わしいぞという文を際立たせている。

そして、前半の古の倭国ののところに、こう書かれている。

>有阿蘇山、其石無故火起接天者、俗以為異、因行禱祭

古の倭国には阿蘇山があって、火柱を上げる。
一般人はこれを畏れて、祭祀を行う。

卑弥呼は、阿蘇山の火を操る存在だった。
卑弥呼のヒは、「火」
卑弥呼が死に、阿蘇山は狗奴国たる熊本のものとなった。

735 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:52:30.65 ID:rD0esUx9O
>>690
なるほど。
倭人伝に記載されてる事の一部は「伝聞」であると、即ち倭国側から得られた情報であると、それでいいんだな?
なら、邪馬台国に至る道程についての記載が、途中から距離を示す単位が「里」から「日数」に変更された点についても納得出来るわ。

魏側の人間が単位を変更するのは合理的ではないし、整合性が取れん話だからな。

736 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:52:41.16 ID:1TVSSsEDO
法的整備がない政権(国)が数百年も持つわけ無いわけで
邪馬台国連合が衰退や争乱で消えるのは当たり前
それが綿々と記録もなしに引き継がれて奈良で大和政権になったとは
大和と書いてヤマトと読ませるのと同様トンデモ
権威の詐称の疑いがあっても不思議ではない

737 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:53:07.03 ID:scDsr0As0
単に火山が珍しかっただけじゃね
西日本に目ぼしい活火山無さそうだし

738 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:53:20.13 ID:eXfb1NGJ0
翡翠大珠は、全国で約200個出土されています。北陸、中部、関東で全体の約70%で
縄文時代後晩期には北九州に出現しますが、近畿・中国地方では出土していません。
(勾玉屋コレクションのHPで勾玉の歴史(1)勾玉のはじまりから引用)
美しい翡翠の勾玉は、北九州に多く出土され、それは縄文時代の形と同じである事が多いようです。これは北九州地方に大きな勢力があり、縄文時代の勾玉を集めたと思われます。
勾玉の出土を調べていくと、物の流れや文化、権力の移り変わりが分かってきます。
大珠が近畿・中国地方から出土されないのは近畿・中国地方と関東・中部・北陸地方の部族とは異なった部族だったと考えられています(勾玉屋コレクションのHPより引用)。
倭人伝にも卑弥呼の使いが翡翠の勾玉を2個土産に魏国王に差し上げた
との記載がある。邪馬台国が近畿ではこれは説明出来ん

739 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:54:05.78 ID:wr+hg80b0
>>241
隼人平定って8世紀の隼人の乱かな
隼人族は5世紀半ばの仁徳天皇の頃には近習として使えているよ

740 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:55:01.16 ID:rD0esUx9O
>>698
倭人伝に記載された事と矛盾しないのであれば長くなって構わんので、説明して貰おうかな。

説明出来るならの話だがw

741 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:55:10.26 ID:WwDyI6iK0
ホントに出たの?
そこが心配

742 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:56:09.53 ID:DjyLR3U70
そうなんだよな
糸島から楽浪郡の硯というからバチバチっと確証がつみあがるので
そこがゴッドハンドだと全部崩れる

743 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:56:48.40 ID:rD0esUx9O
>>680
矛盾を解消する説明すらも出来んお前が馬鹿だという事が分かって良かったよ、ありがとうw

744 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:57:24.84 ID:m54g/ySt0
>>732
中国の皇帝は僻地の蛮族が朝貢してくると
皇帝の権威を見せ付ける為に
蛮族が驚く様な物を遣わすのが通例だから
蛮族側から見たら粗末な物を献上して豪華なお返しが貰える
美味しい朝貢だったんだよな。

745 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:57:30.19 ID:ku7oGn/70
九州倭国は朝鮮占領目指したが
北陸 山陰の王家のバックの新羅に負けた話しもある
大阪にクソ外人入れた恨みが潰れた原因か

746 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:57:41.24 ID:Y5HMAkaA0
神功皇后が筑後山門の土蜘蛛女王を征伐してる。この土蜘蛛が卑弥呼って可能性はないのかな、?神功皇后はトヨと同じ時代みたいだが。。

747 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 20:59:51.03 ID:UuD27L28O
>>734
見え透いた捏造して楽しいか?
古の倭国に阿蘇山なんて記述はないぞ。

748 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:00:32.94 ID:DjyLR3U70
>>744
そんでいったん取り込まれたらあとは向こうが取り放題ってことだろ
楽浪郡の役人が常駐してなにしてんだって話だから
関係は数百年だもん
そんな甘くねえよ

749 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:01:49.75 ID:rD0esUx9O
>>736
倭(わ=和)国の中の「大きな国」が邪馬台(ヤマト)なので、「大きな和」をヤマトと読む事は自然な事。
何らおかしな事ではない。

750 :説明:2016/03/06(日) 21:01:58.51 ID:m54g/ySt0
>>740
簡単な図で示すと
- - - - - - - - - - -                    帶
自 郡         郡 治                       方
-↓- - - - - - -   - -                     郡
-  --水行7,000里---↓----------------------水行20日------
 萬                                    投
          到 狗邪韓國                    馬
 二                               水     國
-  ----------------↓----------------------  -------
 千  度海1,000里                     行
             對馬國  方可400里(800里)
 餘  渡海1,000里  ↓                  10   邪
             一大國  方可300里(600里)           女
 里  海渡1,000里  ↓                   日
             末盧國
 ↓  陸行  500里   ↓              陸行1日(1月) 王
 自        到 伊都國(女王の都)             馬
 女      100里  ↓
 王 - - - - - -奴  國←烏奴國←支惟國             國
 國      100里  ↓            ↑
             不弥國   周   巴利國
               ↓     旋     ↑          壹
             斯馬國   可   躬臣國
               ↓     五     ↑
             已百支國  千   邪馬國
               ↓     里     ↑
               ・・・・・・・・・・・・・・・・・          國
----------------------------------------------------------
              狗 奴 國

751 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:02:02.22 ID:SuWCzTD00
邪馬台国より出雲国のほうが強大だったのは間違いない
大和の前身は出雲

752 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:02:35.29 ID:9YLHuW9j0
>>731
語学力高いのな
邪馬台国スレちょいちょい立つので
ぜひ全訳完成したら載っけてください
邪馬台国に興味持ちだしたのはここ一年ほどなので助かります
ぜひよろしくお願いします。+(=゚ω゚)ノ+。゚

753 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:02:53.11 ID:ao9UsNoi0
出雲から奈良に遷都する必要無いからなぁ

754 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:03:26.73 ID:uADQS/wO0
>>737
桜島ェ…この時代の噴火状況は分からんが

755 :説明:2016/03/06(日) 21:05:08.23 ID:m54g/ySt0
倭王の卑弥呼は伊都国に都して 邪馬壹国(邪馬臺国)を支配していた。
投馬国は狗邪韓国を中心国邑とした国邑の連合体であり朝鮮半島南岸の地域に在った。
邪馬壹国は奴国を中心国邑とした26か国の国邑の連合体であり九州の北半分ほどの地域に在った。

帯方郡の中心地である郡治から邪馬壹国の中心地である奴国までを距離(7000里+1000里+400里+400里+1000里+300里+300里+1000里+500里+100里)と
所要時間(20日+10日+1日)と総距離(12,000里)とで3重に併記している。
旁國(奴国から奴国まで)を通過する21か国の国名と総距離(5,000里)とで2重に併記している。
女王国から裸国、黒歯国までも同じ行程を距離(4,000里)と時間(12日)とで2重に併記している。

756 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 21:06:08.54 ID:nGZ23NP+0
えー まだやらなきゃならんの?

>>755
誰も読まないよ 

757 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:07:23.19 ID:3lctguYg0
>>732
どんな記録だよそれ
朝貢というのは、朝貢する側に対してされる側が倍返しするんだよw

758 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 21:07:39.25 ID:nGZ23NP+0
>>747
阿蘇山どころかあらゆる記述が残ってないけどな

759 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 21:08:25.33 ID:nGZ23NP+0
>>747
それは 漢書の記述であるな

760 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:08:26.36 ID:1TVSSsEDO
>>749
なにこのこじつけ

761 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:09:14.58 ID:A8JbUBZ+0
世界地図見ればわかるけど
福岡のアジア諸国へのアクセスは圧倒的だからな
国の政府があったとしても不思議はない

762 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:09:17.40 ID:DjyLR3U70
>>757
だから言ってるだろ
そんなの最初だけって
そんな甘い政権が中国で覇権取れるかよ

763 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 21:09:34.28 ID:nGZ23NP+0
随書だっけ?

764 :説明:2016/03/06(日) 21:09:45.25 ID:m54g/ySt0
>>752
語学力高くはないが
国語力は人よりあると思う
悪文で何が書いて有るか分からん様な文章でも
大抵は理解できるな
漢文も同じだな
陳寿の文は悪文じゃないが、一部に誤記があり意味が掴みにくくなってるな。

765 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:10:38.29 ID:G0VSziQb0
>>629
妄想乙

766 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:10:56.02 ID:SuWCzTD00
邪馬台国は南九州も支配出来ない弱小国家
魏の滅亡と一緒に出雲国に滅ぼされるのも早かったのもうなずける

767 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:11:08.20 ID:G0VSziQb0
>>630

>>6

768 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:12:00.93 ID:G0VSziQb0
>>639

そうだけど>>6でオケ

769 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:12:28.13 ID:rD0esUx9O
>>750
何で途中から「里」が「日数」に変更されたんだろうな?不便極まりないのにな。
で、「日数」を「里」に換算する事が何故出来ん?

それで何故位置(九州の何処か)を特定する事が出来る?
説明になってないわw

770 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 21:12:35.64 ID:nGZ23NP+0
>>760
雑誌ムーとかが広めたやり口だろ
アホがそれが正当な歴史研究だと勘違いしてる

771 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:12:55.26 ID:G0VSziQb0
>>644
纏向は無人都市w

772 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:13:34.40 ID:G0VSziQb0
>>647
あるよ。祇園山古墳ね。
卑弥呼の墓だよ。

773 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 21:13:40.32 ID:nGZ23NP+0
>>769
それは簡単 距離が測れなくなったから単位を日にちに変更

774 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:13:46.86 ID:1g1gzcrL0
>>701
それな。
邪馬台国がどこか?という議論は、伊都国がどこかという議論を封鎖するためのミスリード。
なぜかというと、伊都国を畿内に比定してしまうと、天皇と蝦夷の関わりを研究することになってしまうから。
なにがなんでも伊都を東へ東へ持っていく必要があった。
そして邪馬台国という国が本来、政治中心から見て僻地にあるにも関わらず
政治中心であったかのように(緩慢に)偽装して研究を混乱させた。

江戸時代の頃は天皇批判につながるから政治上仕方がなかったかもしれない。
けれど現在は学問としてなら問題ないはずなのに、こんどは九州のお国自慢、
いわゆる観光誘致の経済希求がそれを妨害している。
どうしようもなく通俗的な話題になってしまっている。

775 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:13:55.19 ID:InC8apKQO
ヤマトタケルを倭健

ま、これはギリギリわかる

けどヤマトタケルを日本武尊

これは無理くり過ぎるww

776 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:13:57.06 ID:34CmA6Jg0
「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々」まで日本は中国の文明には敵わなかったのは事実
天皇が朝貢してた歴史を隠すのに、余計な改ざんしたり解釈するから史実が訳の分からない事ものになった

777 :説明:2016/03/06(日) 21:14:23.36 ID:m54g/ySt0
>>756
書いてくれとのリクエストがあったんでw

伊都国(福岡県糸島市)が魏使の目的地であり、卑弥呼・壹與など代々の倭王は『魏志倭人伝』に
「世有王 皆統屬女王國」「(伊都国には)魏の治世に王(卑弥呼、壹與)がいて、(倭の国々は)皆、女王国(邪馬壹国)に統屬していた」と
記された伊都国に居して倭の国々を支配していた。

『魏志倭人伝』は正確を期するため同じ行程を距離と所要日数とで繰り返し併記しているのである。
この解釈の方式であれば、従来は矛盾しているとされていた距離や方角、その他の問題も完璧に説明できる。
(この里は短里であり1里≒76mであるとする)

伊都国の説明で「世有王」と伊都国が倭王の都であると解説し、倭王の都近郊の奴国、不弥国まで紹介し終え距離(里数)での説明は終了。
「南至投馬國水行二十日」から行程の説明が時間(日数)に替わり、この文からは再度、帯方郡の郡治からの行程を時間で説明し直しているのである。

同じ行程(帯方郡郡治-奴国)を距離(里数)と所要時間(日数)と総距離(12,000里)とで3重に併記している。

郡治-狗邪韓国-対馬国-一支国-末盧国-伊都国-奴国(距離での説明)
七千里 + 千里 +(四百里×2)+ 千里 +(三百里×2)+ 千里 + 五百里 + 百里)

= 帯方郡-投馬国-邪馬壹国(日数での説明)
水行二十日 + 水行十日 + 陸行一月(陸行一日)

= 自郡-自女王國(総距離での説明)
萬二千餘里

778 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:14:38.16 ID:G0VSziQb0
>>654
つか近畿説は致命傷だらけ。
通ってる筋が一つも無いwwwww

779 :おる 森MORU(もる)。:2016/03/06(日) 21:14:40.42 ID:3SAZnLlF0
福岡(フクよも)



林(あこ)

780 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:14:57.77 ID:UuD27L28O
和は伊勢遺跡の円形遺跡にもつながるんだよ。
あの30の建造物が女王を共立した場所なんだろう。
三世紀になると消える遺跡だしな。

781 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:15:14.68 ID:rD0esUx9O
>>755
投馬国は福岡県久留米市のはずじゃなかったのか?
何故半島に所在する?

九州説論者の間でコンセンサスが得られていないのだと理解したらいいのか?

説明になってないわw

782 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 21:15:24.22 ID:nGZ23NP+0
畿内説はなんだかんだいってるけど 村おこししたいだけだろ
そんな不純な動機で歴史研究を荒らさないでほしいな。

783 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:15:51.91 ID:3lctguYg0
>>762
倍返しできるほど強大で豊かな国が中国を統一できるんだよ
最も中国の歴代王朝にとって朝貢は大変な負担で
周辺国にもう来ないでほしいと内々でお願いしていた

784 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:16:01.16 ID:DjyLR3U70
>>766
しかし漢から魏に掛けて数百年は九州王国はきちんと存在したのなら
日本史にはそう書かなくてはならない

785 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:16:13.40 ID:1g1gzcrL0
>>774

>なにがなんでも伊都を東へ東へ持っていく必要があった。

ごめん、東へ東へ ではなくて 西へ西へだ。
九州内に収めようとする必要があったってことだ。

786 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 21:16:59.04 ID:nGZ23NP+0
今思ったんだけど 投馬国って スサノオの尊が馬を投げ入れて機織りを殺したところじゃね?

787 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:17:07.50 ID:G0VSziQb0
>>781

>>6がコンセンサス。

788 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:17:43.00 ID:Dcy2FdjI0
>>765
妄想て
実際謡曲にあるがな。

789 :説明:2016/03/06(日) 21:18:05.00 ID:m54g/ySt0
邪馬壹国は北部九州一帯にあった国邑の連合体であり、構成国は、対馬国、一支国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、斯馬国-烏奴国の計26か国。
「今使譯所通三十國」とは、この26か国に狗邪韓國、侏儒國、裸國、黒齒國の4か国を加えた30か国。

「女王之所都」「女王の都のする所」と記された邪馬壹国の中で、跳びぬけて大きい人口を持つ奴国が女王国の中心国邑であり、
行程や地理を説明する場合には自女王国として基点に使われているが、女王国の都は前述した様に伊都国である。

『魏志倭人伝』の記述から使者は伊都国まで来ていることは確実であり、伊都国について詳しく紹介し官や副の名称を記している。
伊都国には「世有王」と記されており、官、副の名称を記しながら王の名称だけ記さないはずはなく、卑弥呼・壹與が邪馬壹国の王であり伊都国に住んでいた王なのである。

790 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:18:11.22 ID:DjyLR3U70
>>783
その逆のことを書いた文献を読んでるんだが
どっちが正しい?
だいたい日本ぐらい弱小な国家ならそこは倍返しできるかもしれんが
それこを三国志でそんなことしてたら魏の政権は即死だな

791 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/06(日) 21:18:19.38 ID:nGZ23NP+0
>>785

にゃはははな

本音がでたなwwwwwwwwwwww

なにがなんでも東へ東へもっていって 畿内説にしたかったのね wwwwwwwwwwwwwwww

792 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:18:57.79 ID:1g1gzcrL0
>>791
>なにがなんでも伊都を東へ東へ持っていく必要があった。

ごめん、東へ東へ ではなくて 西へ西へだ。
九州内に収めようとする必要があったってことだ。

793 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:19:01.01 ID:G0VSziQb0
>>782
違う。村おこしですら無い。

信じられないかも知れないが、議論を誤魔化すこと、煙に巻くこと自体が目的。
その証拠に、反論出来なくなったら「邪馬台国なんてどうでもいい」とかほざきだす。















 

794 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:19:04.45 ID:rD0esUx9O
>>760
こじつけでも何でもないが?日本側が「倭」の文字を使われるを嫌ってたのは史実だからな。

逆に、他にどう解釈出来るんだ?

795 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:19:42.78 ID:/jawJliT0
邪馬台国がどこにあるとか
邪馬台国とヤマト王朝の関係もよくわからないが
人の流れを考えれば
大陸から技術や文化の優れた人がわたってきて西(北九州)から東(近畿)へ
居住域を広げたことは容易に想像できるからね
逆に日本からも朝鮮半島に渡った人もいたことでしょう

796 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:20:07.74 ID:Y5HMAkaA0
近畿邪馬台国説なら倭の五王からが歴史になるのかな?神武天皇と長髄彦は存在してない。残念。

797 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:20:26.06 ID:XffFdOop0
>>755
そんな七面倒くさくて、読んだ人がわからない記述を残すわけないじゃん。
南を東とする畿内説なみのトンデモだ。

798 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:20:50.54 ID:UuD27L28O
>>782
九州に何カ所候補あって名乗りあげてるの知らないのかよw

799 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:21:00.62 ID:KrxG/10h0
>>762
高校レベルの歴史すらやってると思えない低脳・・・

ネットで調べてもすぐ分かるのに、自分の見てる記録が正しいって
どういう思考回路なの?等質かな?

800 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:21:10.02 ID:G0VSziQb0
>>783
そういや倭国にも言ってるねw

801 :説明:2016/03/06(日) 21:21:14.50 ID:m54g/ySt0
「世有王皆統屬女王國」の「A統屬B」は「AはBに統屬する」の意味でありAについて「伊都国の代々の王は皆」と理解されていたが、
ここでは「世有王」としかなく「世世有王」ではない。
「世有王」の「世有」について『三国志』内で用例を調べると魏書に4例、呉書に1例有る。
「三世有」(魏書)、「當世有」(呉書)等の特殊な事例を除き『三国志』内では「世有」は魏の世を示している。
「世有」を代々と訳してよい場合でも親子二代程度で何代も続いたとの意味ではなく「世有」は魏代内の世である。
即ち「世有王」は「代々の王」の意味ではなく、「世(魏の治世)は王が居た」の意味なのである。
そして文はここで一旦切れて、次に続く「皆」は「世有王」ではなく別のものを指しているのであり、それは倭の国々のことである。
これを裏付ける資料として『魏志倭人伝』と同時代に書かれた『魏略』逸文がある、
『魏略』逸文では「東南五百里 到伊都國 戸万餘 置曰爾支 副曰曳渓觚 柄渠觚 其国王皆屬王女也」とあり『魏志倭人伝』にある「世有王」が『魏略』にはなく、
『魏略』の文中で「皆」が指しているのは其国王で倭国の王達のことである。
従って同一の資料(又は『魏略』)を参考に作成されたと見られる『魏志倭人伝』の「皆統屬女王國」の「皆」も同様に倭国の国々を指していると考えられる。
「皆統屬女王國」とは「倭の国々は皆、女王国に統屬していた」の意味なのである。
すると前文の「世(魏の治世)に王が居た」の王とは女王国の王である卑弥呼や壹與のことを指していると判明する。
また「世有王」とは「魏の時代に王(卑弥呼、壹與)が伊都国に居た」ことを指すと結論される。

802 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:21:14.99 ID:rD0esUx9O
>>773
何故測れなくなった?
そして何故その記述が無い?

少なくとも玄海灘の荒海に比べれば、遥かに計測しやすそうだがな。

803 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:21:27.77 ID:1TVSSsEDO
>>774
ならばなぜ記紀は僻地の九州に出自を定めたのかねw
論理破綻してるよ

804 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:21:48.59 ID:G0VSziQb0
>>798

>>6が正解。

805 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:21:53.94 ID:ku7oGn/70
漢倭奴国王とは朝鮮人奴隷を
漢に贈って漢の一部ですと言って権力見せてた
だけですた

806 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:22:27.19 ID:/jawJliT0
日本でも外国からの移民で
それまでの小さい国の集まりから集権的政治制度が芽生えるような
社会の大激変に巻き込まれていったのでしょう
いつの時代でも社会が大きく変わるときは人が激しく動いたり騒乱が増えたりするもの

807 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:23:26.98 ID:DjyLR3U70
>>799
これが大和朝廷だけど
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A3%E6%B8%A4%E6%B5%B7%E4%BD%BF

卑弥呼の時代に奈良から九州を支配したとかいう強大な大和朝廷が当時の中国北部権力で倍返ししてんじゃん
じゃあ
本当は九州のほうが強大だったってことでいいわけ?

808 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:24:21.25 ID:rD0esUx9O
>>787
それ不要。
物証とかを示してる、他の真っ当な九州説論者に怒られるぞ?w

809 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:24:47.77 ID:G0VSziQb0
>>807
お前バカだろ。
朝貢する側にメリットなけりゃやらんだろうが低脳w

810 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:24:50.74 ID:1g1gzcrL0
>>803
蝦夷との関連を否定するため、と書いているけど読めてるかな?

811 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:25:15.66 ID:G0VSziQb0
>>808

怒らない。>>6がコンセンサス。

812 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:25:29.64 ID:3lctguYg0
>>777
萬二千餘里はすごく遠いところは皆そう記述しているんだよ
だからその数字から途中出てきた里数を引くとか、ほとんど意味はない
倭人伝の一番の疑問は、不弥国からどっちに何里となぜ書かなかったかだ
邪馬台国が九州なら、最後までどっちの方角に何里と書いたはずだ
不弥国から先は方角は曖昧で里数はわからない、とても遠い所だった
そう考えるのが自然だ
方角や距離は間違えても日数は間違えない
水行十日陸行一月なら真実それだけかかったのだろう

813 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:25:58.65 ID:G0VSziQb0
>>810
バカイミフw

814 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:26:01.25 ID:DjyLR3U70
>>809
バカだろって教科書がどうたら言うから、
ネットで一発で見つかるソースを出したんだが
日本は中国(渤海)に倍返しの朝貢外交で疲弊したって書いてあるし
論破してみろよ

815 :説明:2016/03/06(日) 21:26:41.38 ID:m54g/ySt0
卑弥呼の国璽である「親魏倭王」印の前の国璽である「漢委奴國王」印が博多湾岸から出土しているので卑弥呼の都は博多湾の近くにあった
(漢が滅亡したことにより漢から冊封を受けていることを示す「漢委奴國王」が効力を失った為、卑弥呼は急いで新たに魏から「親魏倭王」印を授けた。
これにより漢の「漢委奴國王」印は不要になり廃棄されたと考えられる、
「漢委奴國王」印が出土した場所が卑弥呼の墓である可能性が高い、同様に壹與が魏滅亡後に晋に使者を派遣したのも新たな国璽が必要となった為と考えられる)

「到」=「至」+「人」であり、人が至るの意味が含まれている。
狗邪韓国と伊都国だけに「到」の文字が使われそれ以外の国は「至」であるので、郡使の目的地が投馬国の狗邪韓国と邪馬壹国の伊都国であることがわかる。
また伊都国には「郡使往來常所駐」とあり伊都国が郡使の最終目的地であることが解る。

伊都国=倭都国、倭の都と解釈できる。
「尹」は神杖をもつ形で、神意を媒介する聖職の人をいう。
「伊」は神の憑りつくその呪杖をもつ人の意味。
伊都=呪杖をもつ人の都=卑弥呼の都。
「伊」は、「治める人」の意も表す。
伊都=治める人の都=首都。

『自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳(女王国中心地より北は、その戸数および距離が分かるので大まかに記すが、その他の傍国は遠くてよく分からない)』とある、
戸数、道里などの詳細な記述があるのは、狗邪韓国から不弥国までであり、これらの国が略載が可能な女王国の基準点(奴国)付近とその北に位置する国々である。

糸島市にある平原遺跡 1号墓が卑弥呼の墓であると考えられる。 被葬者が女性である。
卑弥呼が亡くなった2世紀以降の墓である。
日本で最多の国宝級の鏡が出土している。
魏志倭人伝には卑弥呼の墓は「径百余歩」とあるが、平原遺跡内にある直径70cmの大柱跡から1号墓までの距離が約百歩である。

816 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:27:27.10 ID:DjyLR3U70
700年に奈良大和は渤海に倍返しの朝貢貿易で疲弊したけど、
九州の奴国、伊都国は中国からたくさんもらえるうえに金印までもらって
じゃあ奈良より九州のほうが強大だったんだな

817 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:28:06.37 ID:4NEoY4rk0
本論、硯の出土は、周、漢代から倭人国の百以上の国から朝貢有りという中国史記の一つ
魏史倭人伝、曰く 現在は倭人国三十国との交流有り の証査、真実味の証明だろ。

漢の金印が国家間交流の証でも
魏は戦国国家であり、最後の中国王朝、漢との接点には疑義が有る。

つまり、九州の火国と畿内の和国との関係は
天孫降臨の天子による大和朝廷が
中国皇帝の支配下の金印を持つ倭の委国とは無縁で無ければならない。
だろ?

畿内説は大和朝廷の根幹、皇統正当説の古事記、神話との整合性しか言ってないだろ?

九州豪族と朝鮮南部を大和朝廷が四百年までに統合したのは神話ではない史実。
これって、誰にとって不都合な真実なの?

真実だし、日本の記紀をパクって歴史を捏造した韓国以外に不都合って有るのwww
2ちゃん探偵団の結論は、邪馬台国畿内説はチョン。

818 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:28:18.36 ID:1g1gzcrL0
>>812
おれは萬二千餘里は、必要な物資(またはそれをあがなう金)という意味だと思うよ。
帯方郡は援軍支援を要請する側にいたわけだから、その記録は軍事的であると考えるべきかなと。

819 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:28:25.71 ID:G0VSziQb0
>>814
お前本当にバカなのなw

820 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:28:52.36 ID:5b4y3B6+0
土地が幾らでもあまってる国と比べるなよ

821 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:28:57.16 ID:A8JbUBZ+0
>>803
もうその僻地とかいう思い込みが間違いのもとなんだよ
近代の中央集権が当たり前という刷り込みから発想してるから

822 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:29:04.23 ID:GmwFQw/p0
>>806
纏まるのは隋の建国からだな。

823 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:29:10.51 ID:G0VSziQb0
>>816
この交流は朝貢貿易の形態を取ったため、渤海からの貢物に対して、日本側では数倍の回賜でもって応える義務が生じ、多大な利益を渤海にもたらした反面、日本側の財政を圧迫した。

824 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:29:52.52 ID:1TVSSsEDO
>>810
江戸時代の話ではなく記紀に書いてある事柄だよ
蝦夷がなんたらとかなんの証拠があるの?

825 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:30:02.72 ID:DjyLR3U70
>>819
ネットで一発で見つかるソースに「日本のほうが倍返しして疲弊した」って確実に書いてあるんで
ネットでどうたら、教科書でどうたら言ってるおまえがバカじゃん

826 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:30:04.98 ID:nUh1hGHy0
>>814
渤海はただの辺境国家で中国の王朝じゃないよ
渤海の方から日本に朝貢してきたから、日本は何倍もお返ししなきゃいけなかった

827 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:30:17.27 ID:/uIefstK0
>>725
西暦250年位から畿内・西日本には大規模古墳を作れる位の大きな勢力があった事は間違いない。
それが魏志に書かれてる邪馬台国かどうかは別の議論になるが、現代の人口でしかも奈良だけ
の狭い範囲と福岡を比較して畿内じゃない主張するとかは珍説すぎるぞw

九州説唱えるのは良いがもうちょっとマシな事言ってくれwww

828 :説明:2016/03/06(日) 21:30:43.33 ID:m54g/ySt0
不弥国の南は九州が有り、陸地なので水行することはできない。
不弥国から南に20日(約600km)では投馬國が遥か南の海上に位置する事になってしまう、更に女王国は南に在りこれはあり得ない。
投馬國へ向かう行程から単位が里から日に変わっているので、出発地点の郡治に戻って同じ行程を別の概念で説明し直していると考えられる。
これを空間的概念(里)から時間的概念(日)に単位が変わっているのに続けて読むと幾ら進んだか判断できない。
従ってこれは続けて読むのではなく同じ行程を違う概念の単位で二重に説明することにより、正確に距離を伝えようとしているものである。
道路や橋の整備されていなかった古代において最も便利な交通手段は船であった。
また船旅は盗賊等に襲われる心配も少なく安全である。
古代の旅においては目的地の直近の港まで船で行きそこから陸路を採ったと考えられる。
古代から近代まで徒歩の旅において1日の行程の目安は約30kmである日本には海岸から1か月 (900km) も掛かる場所は無いので白鳥庫吉の言うように「陸行一月」は「陸行一日」の誤植であると考えられる。
倭人伝では「一支國」を「一大國」と誤って記しているが、同様に毛筆で書かれた「日」も「月」と見間違われる可能性が極めて高い。
他にも「船行一年可」とあるがこれも誤植で、基の資料では「船行十二日可」であったのが「船行十二月可」と見間違がわれ、「船行一年可」と書き改められた可能性が高い。
倭人伝は当然日本国内のことが書かれているが、日本を端から端まで船で旅しても1年もは掛らない。
(一見して魏志倭人伝には多くの誤植や存在しない漢字など誤字が存在する。壱岐国を減筆しても一支国にしかならず「一大國」は明らか誤植である。
また「東冶」を「東治」「真朱(水銀)鉛丹各五十斤」と記すべきところを「真珠 鉛丹各五十斤」とするなど明らかな誤植もある。)

829 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:30:51.12 ID:scDsr0As0
邪馬台国論争のネットの情報なんて
俺も含めてここに書き込んでる奴等の妄想と変わらんだろ

830 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:31:02.39 ID:G0VSziQb0
>>810

このバカ何言ってるかだれか解説してw

831 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:31:19.71 ID:9YLHuW9j0
>>764
ID:m54g/ySt0さんは
例の金印「漢委奴國王」
この解釈どう考えますか?
素人考えなんですが
英文法の統辞構造のように
S:漢
V:委
O:奴
O:國王
と考えちゃいけないでしょうか?
ぜひご意見伺いたいです

832 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:31:50.71 ID:kLjsEvK70
邪馬台国は徳島県にあったでしょ。

天皇家と同じくらい古い家柄の人が、邪馬台国は徳島に会ったかどうか聞かれ、とぼけてたし。

ってか天皇家や関わってる人らが卑弥呼や過去の事実を知らないわけないじゃん。

あほくさ。

833 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:32:09.18 ID:G0VSziQb0
>>825
死ね低脳w
渤海が日本に朝貢したんだよカスw

834 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:32:11.87 ID:Dcy2FdjI0
しかし、大事な記録に間違いなんてあるのだろうか?

835 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:32:24.35 ID:rD0esUx9O
>>801
取り敢えず魏国の慣習を解説した長文をコピペして、最後に「伊都国」って書いとけば説明した気分に浸れるのか…。

それか、説明が継続されてるんなら、最後に「続く」と書いてくれると有り難いんだがな。贅沢言ってすまんが。

836 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:33:47.57 ID:rD0esUx9O
>>811
さようなら。

837 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:33:49.49 ID:1g1gzcrL0
>>824
魏志倭人伝の研究は江戸時代後期からだよ。
伊都国を畿内に比定ことで、魏志倭人伝の内容から、天皇と蝦夷の関連を研究する可能性が出てくるので
当時の研究者はそれをしなかった、つまりミスリードしたってこと。
天皇批判につながるのでできなかった、ってのもあるんだろうな。

838 :説明:2016/03/06(日) 21:33:52.73 ID:m54g/ySt0
『三国志 魏書 東夷伝 韓伝』の冒頭に「韓在帶方之南 東西以海為限 南與倭接(韓は帯方の南に在り、東西は海を以って限りと為す、南は倭と接す)」とあり、韓と倭は接していた、つまり韓半島南部にも倭地が在ったと記されている。
しかし『韓伝』には韓のことしか書かれないので韓半島南部の倭地については触れていない。
一方、韓半島南部にあったにも係わらず狗邪韓国は『倭人条』に記されており、「其北岸狗邪韓國」「其(倭国)の北岸の狗邪韓国」とあるので、狗邪韓国は倭人の国である。
この狗邪韓國を含む倭地が投馬国である。
僅かではあるが「從郡至倭 循海岸水行 歴韓國 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里」と「南至投馬國 水行二十曰 官曰彌彌 副曰彌彌那利 可五萬餘戸」が『倭人条』に記された韓半島南部の倭地に付いての説明なのである。

隋書俀伝等によると邪馬台国は邪靡堆と標記してあり、国ではなく地域である。
また邪馬壹国と投馬国の人口は国邑(都市国家)としては多過ぎる。
邪馬壹国の人口は7万戸、1戸5人としても35万人にもなる。
『三国志魏書』によると辰韓 ・弁辰は4-5万戸、馬韓は10万戸である。
奈良時代の日本の人口でさえ500万人弱といわれている。
奈良時代と農業生産技術に大差がない3世紀の人口は、奈良時代より若干少ない程度であろう。
日本の約1割近くの人口を擁した邪馬壹国の領域は、最低でも九州の北半分程度と考えられる。

帯方郡から奴国までに記された行程を合計すると、帯方郡から女王國までの距離と同じ12000里となり、奴国は女王国の中にあったことになる。
奴国は2万戸と記され倭の中心として十分な人口があった。また福岡市博多区の那珂遺跡群(奴国の遺跡)では3世紀頃の「都市計画」によって造られたとみられる国内最古の「道路(幅7メートル・南北へ1.5キロ以上の直線)」跡が見つかっている。
地理的にも7世紀に倭の首都であった大宰府にも極めて近い。
この計画都市(奴国)こそ3世紀の倭の中心であったと考えられる。

839 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:34:48.20 ID:G0VSziQb0
>>836
はい敗北宣言頂きました。

840 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:34:58.64 ID:InC8apKQO
ザビ家がジオン公国を名乗る心理なんだよ!

841 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:35:10.60 ID:scDsr0As0
>>834
原本は無いからなんとも
最古の写本が宋の時代のものだったかな

842 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:35:13.37 ID:DjyLR3U70
>>833
ああ、これは俺が読み間違えたな
渤海が日本側に朝貢してきてたんだな
なるほど
じゃあ朝貢による九州王国の疲弊説はNGのようだな

843 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:35:26.97 ID:wY2lgwi60
天孫降臨が現在の高千穂だとはとても思えない
あんな急峻で狭い土地に、多数の民が住めるはずがない

844 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:35:35.07 ID:1TVSSsEDO
>>821
いや俺は安価先の奴が言ってることを指摘しただけだが

845 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:35:50.82 ID:G0VSziQb0
>>834
魏志倭人伝は非常に資料価値が高い。さすが天才陳寿と言うべき。
記紀はかなりアレな感じ。

846 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:35:59.69 ID:ku7oGn/70
伊都国の前身は委奴国
奴隷貿易してた

847 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:36:46.25 ID:wr+hg80b0
>>766
しかし出雲は国譲りで負けてるだろ
これは記紀によると天津神へで大和朝廷に負けたわけじゃない
天津神というのは北部九州だったのではと思うんだけどね
神武天皇やニギハヤヒのような天孫族は九州出身ということで

848 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:37:02.69 ID:G0VSziQb0
>>842
素直なのは偉いっすよ。

849 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:38:40.90 ID:/jawJliT0
少しは年代考慮に入れたほうが良いのでは
いつの時代の話してんだよって感じになってるよ

850 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:38:58.44 ID:G0VSziQb0
>>847
もちろんそうだよ。
女王国は山陰も含む。

851 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:39:34.30 ID:1TVSSsEDO
>>827
古墳のでかさとか関係なくね?
邪馬台国関連の墳墓の記録にはそんなでかい古墳の記述はないし
畿内の遺物からは邪馬台国当時の朝貢や交易品がほとんど出て来ない
これは畿内と邪馬台国の繋がりの無さを裏付けていると見るのが自然

852 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:40:04.88 ID:l6FyEJpt0
>>769
歩数で計測できなくなってきたんだろ。
道が悪すぎたり、川を小船使ったり。
あとは歩いておらず現地人からの伝聞による距離とか。

853 :説明:2016/03/06(日) 21:41:20.99 ID:m54g/ySt0
「方可四百餘里」「方可三百里」について島の面積を示しているとする意見もあるが、面積を求めるには島を一周し全体の形状を把握する必要がある。
郡使は旅の途中に船で島の横を通過しただけであり、島の片面しか見ていない。
郡使が島の面積を求めることは不可能であり、「方可四百餘里」「方可三百里」は郡使が通った航路から導き出された島の外寸である。
また対馬(北島と南島は陸続きであった)は壱岐より遥かに広く、面積が四百里四方と三百里四方では比率が全く合わない。
「方可四百餘里」を対馬南島の外寸とすると「方可三百里」の壱岐と合致する。
航路から導き出された島の外寸を記しているのだから、これを行程距離に含めるのは自然なことである。

女王国とは邪馬壹国のことである、「自女王国以北」とは女王国(邪馬壹国)の基準点である奴国以北のことを指している。

邪馬壹国70,000戸の内訳は、
1,000戸(對馬国)+3,000家(一支国)+4,000戸(末盧国)+1,000戸(伊都国)+20,000戸(奴国)+1,000家(不彌国)+20×2,000戸(斯馬国-烏奴国の20国分)
(1,000戸+3,000家+4,000戸+1,000戸+1,000家)÷5国=2,000戸/国
奴国を除く対馬国、一支国、末盧国、伊都国、不弥国の5カ国の戸数から1国邑当たりの平均値2,000戸を求め、斯馬国-烏奴国の戸数もこれと同じ戸数として計算

邪馬壹国の解説に「女王之所都」「女王の都のする所」と記してあるのは直前の投馬国と区別して目的地である邪馬壹国を明確にし、
王が居たと記された伊都国と女王が居た邪馬壹国が同一の場所であることを示し、同じ行程を別の概念で繰り返して説明し、
邪馬壹国の中に女王の都である伊都国があったことを説明しているのである。

「自郡至女王國 萬二千餘里」「郡から女王国までは12000余里」の場合、帯方郡も女王国も千里四方以上の面的広がりがあり、其々の内に基準点を決めないと距離が12,000里とは書けない、
帯方郡の基準点は郡治であり女王国の基準点は女王国中最大の2万戸の人口を持つ奴国である。

「可」は日本語訳では「ほどか」などと意訳されるが、直訳すると「推測可能」の意味で実測値でないことを示している。
既に「可七萬餘戸」をどの様にして推定されたか説明したが「方可四百餘里」「方可三百里」の場合も島の周囲を歩いたのではなく、離れた船上から遠望して島の寸法を推測したことを示しており、
「周旋可五千餘里」も行ったことのない土地について推測したものである。
「南至投馬國水行二十日」や「水行十日 陸行一月」も「水行可二十日」や「水行可十日 陸行可一月」とは書かれていないので実体験に基く実測値であることを示している。

854 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:41:31.62 ID:l6FyEJpt0
写本する時に一日を一月に間違えたんじゃないかなぁ・・・

855 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:41:45.88 ID:rD0esUx9O
>>815
その金印の「奴国」って文字は、福岡市付近に所在したと考えられる奴国の事だよな?
が、邪馬台国への道程の途中に存在する奴国って倭人伝には記載されてるだろ。
しかも、文章の後半は「考えられる」ときたもんだ。

もしかして釣りでやってんのか?

856 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:42:00.49 ID:G0VSziQb0
 



大体が、記紀が書かれる前に焚書が行われている。




お察しwwwwwwwwwwwwwwwwww










 

857 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:43:37.41 ID:G0VSziQb0
>>854
逆でしょ?
そうだよ。>>6ね。

858 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:44:06.44 ID:d6KkcApZ0
ヤマトって言うんだから
山が遠くに連なるのが特徴の地域なんじゃないか。
でもって稲作もあるから川のほとり。

859 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:44:15.18 ID:rzwNTQhl0
吉備と出雲が九州と畿内の中間の大勢力だったな

860 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:44:17.20 ID:eEX0+lBR0
>>750
海上で何里進んだとかは
本当は最低でも六分儀でも使わないと解らない
だから○○間〜○×間は何里と言うのは
感覚的な遠近感だろうな

861 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:44:30.77 ID:4NEoY4rk0
日本人はみんな中国の史記の真実味は認めてるけど
日本の記紀の神話が文学なのは認めている。

不都合な真実が有るのは
これをパクった上に皇統すらない
某隣国だろ?

畿内説って何?

862 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:44:36.69 ID:G0VSziQb0
>>858
違う。山門のこと。

863 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:45:48.87 ID:j/zRr7JH0
日数はかかった日数で途上で逗留したりしてるから距離に比例しない

864 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:45:55.98 ID:DjyLR3U70
もうゴッドハンドでなければ、大和王朝が生まれる前に九州に数百年の王国があったことは確実だ
だからなぜそれが衰退したか、奈良に完全に取り込まれたかってのも
重要な歴史テーマになるわけだ

865 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:46:03.20 ID:ukuy/lHx0
古代の中国人が適当に書いた魏志倭人伝なんて真に受けてるのが笑えるんだけどw

866 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:46:05.60 ID:rzwNTQhl0
船で何日って航海中だけじゃなく
停泊中の期間も含めてかもよ

867 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:46:29.71 ID:1TVSSsEDO
>>859
そこすり抜けて伊都から畿内まで支配するのは無理だな

868 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:46:42.50 ID:eiUp/S9l0
>>97 近畿説は宗教。学問とは無縁です。

違う!!

学者の処世術だ

考古学界は京大が支配している
各地の大学、博物館の教職の人事を握っている

京大は、いまさら畿内説から引き返せない
ここ15年も、畿内説のための証拠捏造した「気鋭の学者」に学会賞を与え続けている

冤罪事件の検察と同じだ
検察が悪人で、考古学者がまともというわけはないのだ
どっちも、生身の人間 飯を食わなければならない  出世もしたい

869 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:46:49.05 ID:rD0esUx9O
>>828
なるほど。
九州説論者の一部が言う、糟屋郡宇美町から筑後川を南へ向かえば投馬国(福岡県久留米市)ってのは、ありゃトンデモだと言う訳だな。

よく分かったわ。

870 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:47:02.13 ID:rzwNTQhl0
天皇記国記でも残っていればな

871 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:47:42.96 ID:ku7oGn/70
まあ鉄器製品を売って人間奴隷で対価で貰ってたのが
イト国

872 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:48:01.79 ID:G0VSziQb0
>>864
狗奴国との戦争で疲弊したのが一つ考えられる。
確かに謎。

873 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:48:07.13 ID:DjyLR3U70
>>865
適当にしては地名は精緻だよね
距離と方角なんて地図も怪しい時代に中国の役人が書き写すんだからしょうがない
その地名が精緻ってのが楽浪郡役人の常駐を物語るから
そこは無視できない

874 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:48:07.44 ID:kepCQggU0
伊都国の三雲遺跡と奴国のクス岡本遺跡は前1世紀で同じくらい。しかし伊都と奴国の間にさわら王がいたはず。吉武金武遺跡もある。さわら国は全然でてこないね。

875 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:48:21.53 ID:eEX0+lBR0
>>861
ま、天皇の寿命は皇紀と辻褄合わせだろうな

876 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:48:23.04 ID:d6KkcApZ0
この邪馬台国が後の大和朝廷になって天皇になっていくのかな?

877 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:48:34.72 ID:j/zRr7JH0
>>864
大和に移転した

878 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:49:27.27 ID:G0VSziQb0
>>869

>>828は単なる間違い。

879 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:49:55.99 ID:rD0esUx9O
>>836
トンデモ説を提示した時点で、お前が敗北宣言を先に出してんだろw

100以上もレス投稿してよ。アスペがw

880 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:49:56.35 ID:G0VSziQb0
>>876
違う。>>6

881 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:50:10.56 ID:InC8apKQO
そうだよ九州出身の傭兵奴隷のイワレビコが打ち立てた奴隷王朝が大和王朝だったんだよ!

882 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:50:17.97 ID:G0VSziQb0
>>877
違う。>>6

883 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:50:42.96 ID:G0VSziQb0
>>879
お前w

884 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:50:45.34 ID:OfoLg4eR0
邪馬台国 => 九州確定
大和朝廷 => 近畿確定

ってことでしょ
そしてこれらには何の因果関係もない

885 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:50:50.29 ID:DjyLR3U70
>>877
まあそれも大きな可能性の一つだな
地名が相似しすぎてるからな

886 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:51:18.36 ID:G0VSziQb0
>>881
違う。>>6

887 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:51:39.90 ID:AfDCFhL40
ID: G0VSziQb0
違う。w

888 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:51:40.01 ID:G0VSziQb0
>>885
無いw

889 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:51:41.08 ID:o/eQ+J/70
答えは
朝鮮半島にあります

890 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:52:05.05 ID:G0VSziQb0
>>887
>>6が正しい。

891 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:52:25.39 ID:G0VSziQb0
>>889
ありません。>>6です。

892 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:52:40.10 ID:3lctguYg0
倭人伝の何里なんて感覚で大体だろ
測量したわけじゃないんだから
島と島の間の何里のほうが陸の何里より信用できるかもね
見通しが良いんだから
それにしても半島―対馬―壱岐―松浦が同じ1000里なのはいただけない
倭人伝の里数はあまり厳密にとらないほうがいいのだろうな

893 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:52:43.60 ID:InC8apKQO
>>886

違くねえだろ
>>6こそ奴隷王朝理論じゃんかよ

894 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:52:55.63 ID:AfDCFhL40
>>890
違う。

895 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:52:57.38 ID:3jTjINvY0
百済ない



896 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:53:10.68 ID:fG9jodyX0
九州説の方が説得力有りそうだけど、そろそろ結論っぽい感じになってるの?

897 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:53:30.69 ID:5KZdCYl30
日本史板では優勢を誇る畿内説だが、このニュー速板では惨敗じゃねーか www

898 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:53:32.52 ID:G0VSziQb0
>>892
厳密じゃないよ。
お前なだから何世紀の話しだと思ってるんだ?

899 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:53:49.07 ID:d6KkcApZ0
>>884
邪馬台国と大和朝廷は別だったのか
ヤマトつうのが日本の呼び名で
ヤマトのなんちゃらみたいなものか。

900 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:53:54.36 ID:G0VSziQb0
>>896

結論は>>6

901 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:54:15.86 ID:j/zRr7JH0
>>882
放射読みはあってる。
伊都国は魏の役人の駐屯所だった。
また邪馬台国は王都、祭祀の都、伊都国は行政の都だった。
魏の使節は一つ一つの国に行ったわけではなく、どのへんにあるか倭の役人に聞いた。
当然、伊都国からどれくらいかかるかという答えになる。
放射読みが自然。

陸行一月は拘る必要はない。途中逗留した期間も含まれており、距離に比例しない。
また一月かかった割に途中の記載がなにもないから陸路は使っていない

902 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:54:30.38 ID:G0VSziQb0
>>897
あれただのカルトの集会w

903 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:54:49.66 ID:AfDCFhL40
>>900
違う。

904 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:55:18.39 ID:G0VSziQb0
>>901
一月は一日の写し間違い。

905 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:55:38.54 ID:G0VSziQb0
>>903
うん。お前がね。

906 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:55:59.70 ID:3lctguYg0
>>853
>郡使は旅の途中に船で島の横を通過しただけであり、島の片面しか見ていない。

面積、方角、距離、戸数などは倭人の説明するところを書いたんでしょ
使節がいちいち分かるわけないでしょ

907 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:56:04.86 ID:InC8apKQO
ずっと前から奴隷王朝だと思ってたんだよ

908 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:56:27.20 ID:G0VSziQb0
>>907
妄想乙

909 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:56:52.12 ID:z1atefHS0
鏡の中心の丸い部分が宇宙から見た地球説

910 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:56:52.68 ID:q+hoe51U0
ゴッドハンドか?w

911 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:57:27.15 ID:NcbmBzNT0
>>328 お前はベンガラを知らないんだろう。 貴重品だぞ。
考古学では、朱丹ではなく殆どはベンガラを塗っていたことが証明されている。
朱丹は毒だから体には塗らない。薄めて使ったら朱が出ない。

古代で朱丹と言うと、水銀朱とベンガラ両方の事を言ってたと思われる。
体に塗ってたのは殆どベンガラ。

912 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:57:44.39 ID:G0VSziQb0
>>910
近畿説はそう。
もう捏造に近い。

913 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:58:04.23 ID:JulPqHgD0
>>865
当の中国人すら誇張だと思ってた
秦の始皇帝陵や兵馬俑が史記の記述通りに実在してたわけだが
記述通りどころか記述にすらないクロムメッキ剣とか出てきてほとんどOパーツなわけだが

914 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:59:03.24 ID:InC8apKQO
>>908

ナガスネヒコとイワレビコのやり取りとか
どっちが雇われ店長だ(正統奴隷)にしか聞こえん
>>6を推してるのに何で俺を否定すんだよ?

915 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:59:07.40 ID:rKYLSmzP0
4日ルールがあるので次スレは今日中に依頼して立ててもらわないといけない

916 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 21:59:39.33 ID:G0VSziQb0
>>914
イミフw

917 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:00:21.24 ID:OfoLg4eR0
wikiでぐぐってみたら
ヤマト王権 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88%E7%8E%8B%E6%A8%A9
>たとえば、白石太一郎は、「邪馬台国を中心とする広域の政治連合は、3世紀中葉の卑弥呼の死による連合秩序の再編や、
狗奴国連合との合体に伴う版図の拡大を契機にして大きく革新された。この革新された政治連合が、3世紀後半以後のヤマト政権にほかならない」と述べている[11]。
その根拠となるのが奈良県の纒向遺跡であり、当時の畿内地方にあって小国連合の中枢となる地であったとして注目されることが多い[12]。
この遺跡は、飛鳥時代には「大市」があったといわれる奈良盆地南東部の三輪山麓に位置し、都市計画がなされていた痕跡と考えられる遺構が随所で認められ、
巨大な運河などの大土木工事もおこなわれていた一種の政治都市で、祭祀用具を収めた穴が30余基や祭殿、祭祀用仮設建物を検出し、東海地方から北陸・近畿・阿讃瀬戸内・吉備・出雲ならびに北部九州にいたる各地の土器が搬入されており、
また、規模の点では国内最大級の環濠集落である唐古・鍵遺跡の約10倍、吉野ヶ里遺跡の約6倍におよび、7世紀末の藤原宮に匹敵する巨大な遺跡であり、多賀城跡の規模を上回る[13]。
武光誠の学説に従えば、纒向遺跡こそが「大和朝廷」の発祥の地にほかならない[1]。


こいつは生きてて恥ずかしくないのかなw

918 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:00:22.66 ID:G0VSziQb0
>>915

立てて貰わなくてもいいよ。>>6で結論出てるから。

919 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:00:36.71 ID:4NEoY4rk0
大和朝廷が邪馬台国平定の250年以降400年までに
西国66、東国55、半島95国を平定し、東国の征夷大将軍として
南北朝から唐の中国皇帝に至るまで、それを認められたのは事実。

白村江の朝鮮撤退以降も、日本国の朝廷が
中国がモンゴル帝国に滅ぼされるまで
対等の属国ではない天子の国として国交を保ったのも事実。

不都合な真実が有るのは日本神話をパクって歴史を直視できない某隣国。
日本皇室が遠慮して真実を隠す理由は、つまり、そういうことだろ?

920 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:00:40.62 ID:InC8apKQO
>>916

いや意味不明なのは、こっちなんだが?

921 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:00:43.04 ID:AfDCFhL40
>>905
違う。

922 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:01:23.10 ID:NcbmBzNT0
>>344 2000里は短里で160kmだぞ。多くて180km

923 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:01:35.65 ID:L7KQGn7M0
まだやってんのか?w
負け犬九州節夫の遠吠えは五月蝿いのお
台与がトヨだから邪馬台はヤマトに決まってるだろ

924 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:01:43.09 ID:G0VSziQb0
>>921
うん。お前がね。

925 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:01:44.18 ID:ku7oGn/70
まあ青銅器は残るが鉄器は錆びて痕跡は無いだけで
鉄器時代が弥生時代

926 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:01:54.56 ID:G0VSziQb0
>>920
イミフw

927 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:02:08.79 ID:G0VSziQb0
>>923
負け犬乙

928 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:02:31.08 ID:a5tidrty0
港に九州使ってたんやろもん

929 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:02:41.67 ID:rD0esUx9O
>>853
終始、九州説論者の「推測」しか書いてないな。

「里」が「日数」に突如として変更された合理的説明が、今に至るも行われていないし、倭人伝の記述にも見えない事を延々と解説してるだけの怪文書でしかない。

930 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:03:09.25 ID:AfDCFhL40
>>924
うん。お前がね。

931 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:04:03.40 ID:scDsr0As0
短里とか言って自由に縮尺変えてたら何処でも比定できるわ

932 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:04:07.57 ID:InC8apKQO
>>926

具体的に言えよ
雇われ店長説=奴隷王朝じゃないか

何でイミフて返しになるの?

933 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:04:09.10 ID:9YLHuW9j0
>>917
白石と春木だったっけ
あちこちでボロクソに言われてるよな

934 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:04:27.15 ID:G0VSziQb0
>>929
伊都国に駐留したから。(ただし一回目の話し)
倭人からの伝聞。

935 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:04:40.70 ID:G0VSziQb0
>>931
出来ない。

936 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:04:47.73 ID:OfoLg4eR0
そもそも邪馬台国って中国というか魏が勝手にそう読んでただけで
名前が似てるから
邪馬台国は大和朝廷だろっていう論法はむちゃくちゃなわけ
なぜなら中国読みでは全く発音が違うわけだから

それに邪馬台国ってより女王国って呼ばれてたらしいじゃん

937 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:04:53.39 ID:G0VSziQb0
>>932
イミフw

938 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:04:57.34 ID:AfDCFhL40
>>929
少しは他人にリスペクトを持ったらどうだ
持たなくていい相手とそうじゃない相手の区別がないのか

939 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:05:20.48 ID:5uLywDva0
実は昔から中国系渡来人はいた。

福岡の古賀氏
大蔵氏族で原田氏と同族。
「先祖は漢高祖の苗裔にして劉氏たり。始め甲斐国に住す。
子孫、筑後国三潴郡古賀村に移り、古賀を称号とす」(古賀家伝)

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1235/shizokufu.html

940 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:05:22.48 ID:rD0esUx9O
>>878
いや、本人は真面目に書いてるぞ?w

九州説論者を侮辱すんなよ、お前w

941 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:05:30.22 ID:G0VSziQb0
>>936
それで良い。ヤマト国と読む。

942 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:05:43.44 ID:3lctguYg0
>>901
放射読みが合ってるとして、
邪馬台国は伊都国から水行十日陸行一月の遠距離にあることになる
伊都国から近いのなら、なぜどの方角に何里と書かなかったのか
そこまでの記述と全然違う書き方をしているのには理由があるはずだ
邪馬台国は伊都国からの方角が曖昧で距離は分からない
とても遠くにあるからに違いない

943 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:06:12.71 ID:5uLywDva0
京都の八坂神社は新羅系。

当社は慶応4年(1868)5月30日付の神祇官達により八坂神社と改称するまで、感神院または祇園社と称していた。
創祀については諸説あるが、斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が
新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まるという。

http://www.yasaka-jinja.or.jp/about/

実は金姓は昔から日本にいた。

山城国 諸蕃 新羅 真城史 史   出自新羅国人金氏尊也

新撰姓氏録(1200年前に作られた日本の姓氏の集まり)

http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/syoujirokusiragimimana.html

http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/syoujirokumokuji.html

ヤマトの国は奈良県だが、すぐ近くの山城国(京都)には新羅国王の子孫の金氏が住んでいた。

金氏の読みはコムかキム。

http://emisi.jp/swfu/d/auto_c0UCtd.jpg 

※ 続日本記・天平5年4−7月記【参考文献】 
出 典 続日本記 二 271頁 抜粋 金徳師 項 

【金 氏】 
 持統4年(695)、新羅王家後裔の許満等12人が京より武蔵国に下向居住するに始まる。 
 天平5年(733)、徳師の代にさらに新羅人男女53人が武蔵国埼玉郡に居住、子の知仙は陸奥国美原郡伊治城に遷る。 

http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/03/03021.htm

944 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:06:17.85 ID:G0VSziQb0
>>940
バカは侮辱して良い。>>6読めカス。

945 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:06:33.80 ID:G0VSziQb0
>>942

>>6

946 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:06:53.20 ID:InC8apKQO
>>937

だから一言返し卑怯だろ
100レスして自分だけ九州説を独占したいの?

947 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:07:17.43 ID:JulPqHgD0
中華思想から考察すれば漢字は当て字だと思って間違いないだろうね
ヤマト国とヒミコ

948 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:07:40.98 ID:GmwFQw/p0
帯方郡から水行10日と陸行一か月で女王国に着くんだったら
筑後平野のどこかだからまあ妥当な着地点だな。

水行20日の投馬国も薩摩か日向かで説明がつく。

949 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:07:52.07 ID:iQMqu9GS0
学術的には、卑弥呼は古代韓国人ということで決着済。

950 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:08:01.84 ID:G0VSziQb0
>>946
イミフw
オレ様定義は不要。当たり前だカスw

951 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:08:16.91 ID:OfoLg4eR0
伊都国って邪馬台国の出先機関みたいな感じだろ
こりゃ九州確定だろ

おそらく近畿論者は
流石に九州から近畿一帯まで支配していた国ってのは考えられないから
近畿を中心に九州にも部分的に領土をもっていたとか考えているようだが
もう滅茶苦茶なわけ
認めろよカス

952 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:08:17.20 ID:G0VSziQb0
>>949
間違い。

953 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:08:31.77 ID:G0VSziQb0
>>948

>>6

954 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:08:51.80 ID:L7KQGn7M0
九州説はカルト宗教だぜw
これは万人が認めるところだぜ

955 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:09:23.31 ID:uFAHr0WD0
熊本の山キは違うの?

956 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:09:25.85 ID:KdPwtr+10
>>951
ここまでは畿内説もほぼ一緒よ

957 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:09:33.62 ID:G0VSziQb0
>>951
そういうことだよね。
近畿説って>>793

958 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:10:05.41 ID:YcBpqQ9H0
>>911
ただの酸化鉄が貴重なわけあるか

959 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:10:17.27 ID:VRq4rf590
ヤマト国

普通の脳みそがあったら、奈良にあったとしか理解できないはず
無理に九州説とか珍説を作ろうとしてる人は、やっぱ町興しで金もらってるの?

960 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:10:22.90 ID:G0VSziQb0
>>955
山門のこと?

961 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:10:50.64 ID:G0VSziQb0
>>959
普通の脳味噌の無い人乙

962 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:11:00.58 ID:l6FyEJpt0
まあ九州には確定して良さそう。

963 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:11:08.45 ID:InC8apKQO
ID:G0VSziQb0は実は前は近畿説だったんじゃないかな?

何か変

議論そのものより自分の立場の有利さに拘る感じが
かつて近畿説の連中に似てる

964 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:11:17.31 ID:G0VSziQb0
>>954
近畿カルト乙

965 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:11:29.21 ID:L7KQGn7M0
九州説信者の文献継ぎ接ぎトンデモには呆れ返って笑ってしまうからなw

966 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:11:32.18 ID:G0VSziQb0
>>963

>>6

967 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:11:34.34 ID:OfoLg4eR0
>>956
どういうこと?

968 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:11:49.07 ID:G0VSziQb0
>>965
成仏しなさいw

969 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:11:52.19 ID:fG9jodyX0
もう畿内派が折れれば決着じゃね?
大和朝廷と邪馬台国は関係無いと考えればいいだけで、近畿人もそれで文句あるの?

970 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:12:13.20 ID:rD0esUx9O
>>934
倭人からの伝聞が多々あるだろうとは、俺も思ってる。

971 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:12:24.91 ID:zUCD7Ik10
もう考古学の世界では九州説なんて死んだも同然ってことになってるよ

972 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:12:31.96 ID:G0VSziQb0
>>967
多分そいつただのバカ。

973 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:12:43.59 ID:InC8apKQO
>>950

言葉返しとかレス返しとか
手口がかつて畿内説の連中に似てるよなお前

974 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:12:52.42 ID:3lctguYg0
>>945
どうして邪馬台国までどの方角に何里と書かないの
なぜ突然記述のしかたが変わるの
そこには必ず理由があるのに
そこを全然説明できてないんだよね

975 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:13:15.95 ID:G0VSziQb0
>>970
倭人は里程を知らなかったの。

976 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:13:49.66 ID:eXfb1NGJ0
奈良に元々住んでいた勢力は北九州の東征軍に敗れて奈良を逃げ出して
出雲に移り住んだと考えるのが妥当だろう。だから国譲りの神話も生まれたし
追いだした九州勢力も出雲勢力に敬意を払ったから出雲大社の位も
高いと言う事だろう。

977 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:14:01.18 ID:L7KQGn7M0
九州説信者は第三者の目もちょっとは気にかけろよ
完全にカルトだろ、チョンかよw

978 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:14:03.95 ID:G0VSziQb0
>>974
>>6

979 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:14:21.14 ID:G0VSziQb0
>>977
カルト乙w

980 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:14:31.05 ID:eEX0+lBR0
倭人は顔も全身刺青ではなかったっけ?
その文化がある地帯って・・・

981 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:14:42.45 ID:G0VSziQb0
>>977
チョン乙w

982 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:15:01.65 ID:rD0esUx9O
>>938
そのつもりでいたんだが、「偏った推論」を「説明」だと言われる事には抵抗を感じざるを得ないのでな。

150レスも投稿してる奴は、まあアレだがw

983 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:15:15.21 ID:KdPwtr+10
>>967
そのままの意味
その先から解釈が変わってくる

984 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:15:18.70 ID:10q/uY5G0
九州説論者は諦めが悪いな。
何か新しい知見が得られたわけでもなく、
邪馬台国の所在地を比定できたわけでもない。
畿内説論者がいないから盛り上がることができた。

985 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:15:24.73 ID:kepCQggU0
で卑弥呼は古事記と日本書紀のどの神様に当たるんだ?天つ神、国つ神、土蜘蛛のどれかだよな。

986 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:15:40.20 ID:InC8apKQO
チョンとかカルトとか畿内説の連中がよく言ってたよな

何か変なのが鞍替えした予感

987 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:15:41.55 ID:3lctguYg0
>>978
何の反論にもなってないレスを何度も
もう何も言えないのね

988 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:15:44.89 ID:AfDCFhL40
>>977
ID: G0VSziQb0のことなら九州説論者から外してくれ

989 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:15:56.75 ID:G0VSziQb0
>>983

な?まだ分かって無いだろw

990 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:15:56.89 ID:zxHocILx0
九州からどんどん北上していって大和政権になった

以上終わりw
移動しないと思っているバカだけが九州説だの畿内説だのにこだわる

991 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:16:09.71 ID:G0VSziQb0
>>984
近畿カルト乙w

992 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:16:24.53 ID:G0VSziQb0
>>987
>>6

993 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:16:43.73 ID:OfoLg4eR0
神武東征なんか神話作るからややこしいんだよ
あんなもんみんなフィクション言ってるじゃん
じゃあフィクションなんだよ

だから邪馬台国と大和朝廷は全く関係

994 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:16:47.45 ID:G0VSziQb0
>>988
お前が外れろカスw

995 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:17:01.33 ID:wr+hg80b0
>>976
神武天皇の奥さんは出雲系の神官の出ということだけど
国譲りで出雲から畿内へ逃げてきたと考えるほうが時系列的にも正しいんじゃないかな

996 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:17:15.33 ID:L7KQGn7M0
邪馬台はヤマト、大和で決まり、卑弥呼は大和で隔離されたんだぜ

997 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:17:17.17 ID:G0VSziQb0
>>993
そう。>>6ね。

998 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:17:24.38 ID:KdPwtr+10
>>989
アホは嘴挟むなよ

999 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:17:29.98 ID:AfDCFhL40
>>982
偏らない推論って、どういうのがありうるのかな
まさか倭人伝全否定ってわけじゃあるまい

1000 :名無しさん@1周年:2016/03/06(日) 22:17:41.19 ID:JulPqHgD0
>>985
日巫女だからアマテラス

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